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少し時間はさかのぼる。 ワルドは母の眠る廟の前に跪き、祈りを捧げていた。 母に再会することはできたが、完全には蘇ることなく、リッシュモンへの怨嗟を上げながら土に還ってしまった。 本人に生き返ろうとする意志がなければ、生命への強い渇望が無ければ蘇ることはできないとルイズに言われたが、それを信用するなら「母は生き返ることを望まなかった」のだろう。 ワルドは母が安らかに眠れるように祈り、そして、リッシュモンへ必ず復讐すると誓った。 ゆっくりと立ち上がり後ろを振り向くと、手ぬぐい程度の布きれを腰と胸に巻き付けたルイズが、濡れた髪の毛をかき上げているところだった。 「行こうか、ルイズ」 「ええ」 ルイズは返事をしつつ塀に近寄り、両手を使ってよじのぼると、周囲を見渡した。 人気がないのを確認すると、塀から降りてワルドを背中に乗せて呟く。 「ガリア寄りの森を通ってトリスタニアに行くわ。ヴァリエール家に見つかりたくないから……しっかり掴まってなさいよ」 ルイズがそう呟くと、ワルドは片腕に強い力を入れてルイズにしがみつく。 「ふっ!」 腹に力を入れ、地面を強く蹴るのではなく、体の関節を順番に動かして地面との反発力を生む。 いくつもの関節の反動が繋がり、体が一本のバネのようになる。 墓所の石畳を砕くことなく、ルイズは高く跳躍した。 何十基も並ぶ墓石を飛び越えたルイズは、そのまま風のように走り、森の中へと入っていった。 まさに風のようだと、ワルドは思った。 ルイズの背中は小さい、本当にか細くて、今にも折れてしまいそう。 しかしそれは大きな間違いだ、濃密な蜂蜜のごとく、ほんの少しの体積に例えようのない甘露が詰まっている。 ルイズの小さな体には、巨体を誇った吸血馬の力が宿っているのだ。 黒毛と栗毛とも表現できぬ不思議な色つやを持った吸血馬、その骨がルイズの意識に反応して、色素を失った毛を触手のように伸ばしていく。 足に埋め込んだ吸血馬の骨は、鋼の糸のような毛をルイズの足に張り巡らしていく。 それは皮下脂肪にまで伸び、複雑に絡み、ルイズの筋力を増幅させていく。 足の裏に伸びた毛はルイズの神経と繋がり、地面の感触を微細に伝えつつ、皮膚に蹄のような強度を与えていく。 ルイズの下半身は細く、シルエットは少女のものであった。 しかし間近で見れば、皮下脂肪が極限まで減らされた筋肉質がくっきりと浮き出て見えただろう。 吸血馬は、死して尚ルイズの力となっていた。 しばらくの間森の中を駆けていると、ふと足下の感触が変化していることに気づいた。 獣道か、それとも猟師の通る山道なのか、地面の感触が他と異なっている。 ルイズは速度を落とし、周囲の匂いを確かめつつ歩く。 「は…ぶはっ」 背負われていたワルドが、首を横に向けてクシャミをした。 ルイズはその場で止まると、ワルドを背中から降ろす。 「大丈夫?…あ、濡れた体で風を受けていたんだから当然よね…ごめんなさい」 「気にしないでくれ、僕の鍛え方が足りないだけだ」 「だからといって放っておけないでしょ」 空を見上げると既に雲は引いており、木々の切れ目から夕焼けの明かりが差し込んでいる。 間もなく夜になってしまうだろう。 「人の通った跡があるわ…この先に街は無いと思うから、たぶん猟師の使う小屋でもあるんでしょう。そこで休めたら休みましょう」 「人がいるんじゃないか?」 「…その時はまた考えるわよ」 やれやれ、と肩をすくめるワルドを見て、ルイズは少しだけ恥ずかしそうに頬を染めた。 そそくさと足を進めるルイズを、嬉しそうに後を追うワルド。 ふと自分とワルドの関係を考えると、これはこれで悪くないのではないか、という気がした。 しばらく歩みを進めるうちに空は暗くなっていた、まだ雲が残っているのか月明かりが届かず、森の中は泳ぐような暗闇に包まれていた。 「ルイズ」 ワルドがついに歩みを止め、ルイズに声をかけた。 振り返ると、ワルドは定まらぬ視線のまま、手を前に出して何かを掴もうとしているようだった。 ふと、ワルドと自分の身体能力差を考える。 「…ごめんなさい、この闇じゃ何も見えないわよね」 ルイズはワルドの手を取って、ゆっくりと暗い闇の中を歩き出した。 「杖があれば」 ワルドの呟きは、杖のないメイジの弱さを現している気がした。 しかしワルドは風のスクエア、魔法を行使できなくとも、風の流れ、音、匂いには人一倍敏感だった。 杖を使って光を出さずとも、夜の森を通り抜けることはできるが、ルイズのようにすいすいと歩けるほどではない。 その証拠に、暗闇の中にある木の枝を避けて歩けるのだ、何かかがここにある…という違和感が風の乱れを伴うらしい。 しばらくして、不意にルイズが立ち止まった。 がたがたと戸板の動く音が聞こえてきたので、目の前に小屋があるのだろう。 「足下と頭に気をつけて」 ルイズはワルドから手を離して、小屋の中へと入っていく、ワルドは慎重に足を進め、敷居をまたいで小屋の中に入り込んだ。 「今、火をおこすわ…何コレ、湿ってるじゃない」 カラン、カランと音がする。ワルドは薪か何かのぶつかる音だと判断したが、次に聞こえてきたシュウウウウウという音は何の音なのか解らなかった。 ルイズの手に持った薪は、少し湿っていたが、吸血と同じ要領で水分を抜き取ることでカラカラに乾燥した。 薪を両方の手に一本ずつ持ち、圧力をかけて胸の前でゴシゴシとこすり合わせる。 二分ほど勢いよくこすり合わせていると、ついには摩擦熱で焦げる匂いが立ちこめてきた。 手に持った薪を広げると、所々が赤くくすぶっており、夜目に慣れたワルドの眼にハッキリと映った。 片方の薪を地面に置くと、もう一個の薪を両手で挟み込み、今度は渾身の力を込めて握り、すり潰す。 粉状になった木片が燻った木の上に落ちると、じわりじわりと火が燃え移り、ついには火種となって燃え始めた。 「凄いな」 「猟師の知恵らしいわよ。昔本で見たの。実際にやったのは初めてだけど」 ようやく、ルイズの表情が見えるようになった。 ルイズの表情は、子供の頃と変わらぬ無邪気な笑みだった。 「ワルド、あなたって火は起こせる?」 「ああ、杖を持ち、ウル・カーノと唱えれば」 「でも杖が無ければ何もできないでしょう、私には杖が無くても火を起こせるわ、先住魔法じゃないわよ」 「…確かに、杖がなければメイジは非力だ」 「貴族が君臨を許されるのは、魔法を使えるからじゃないと思うの……杖はメイジの誇りであり弱点よ。杖に頼りすぎて、杖に甘えて…いつか大事なことを忘れる気がするの」 「大事なことか。僕はそれを間違えていたのかな」 「私には解らないわ。……私自身、吸血鬼の力と虚無の魔法、これをどう使えばいいのかよく解らないもの」 少しの間、ルイズとワルドの間に沈黙が流れた。 猟師が仮の宿に使う小屋なのか、雨風をしのぐだけに機能を限定された小屋に、火の匂いが充満している。 火のついた薪からパチパチと弾ける音が聞こえ、それが不思議と心地よかった。 「ねえ、ワルド」 「うん?」 「お母様に、酷いことしちゃった…」 ルイズが何を言いたいのか、よく解らない。ワルドは首をかしげた。 「…もっと沢山血を注げば、体全部、生き返ったかも…」 「ルイズ…」 ワルドは椅子から立ち上がると、足で椅子を押してルイズの隣に座った。 「いいんだ。僕は、もっと穏やかな母に再会できると思っていたが、それは大きな間違いだと気づいたんだ…リッシュモンに辱められて命を絶ったというのなら、僕にはそれを止めることはできない」 「どうして?だって、お母様に生きていて欲しいと思ったから、生命の神秘を、虚無を、『聖地』を目指そうとしたんでしょう?」 ルイズがワルドの顔をのぞき込む。 ワルドの表情は、憑き物が落ちたかのように穏やかで、寂しそうな笑みだった。 「母は生前、苦しんでいる姿なんて僕に見せなかったよ、いや、気づいていなかったんだ。 僕は…母の胸中に気づかず、ただ甘えていたんだよ。 母さんが生き返ったとして、その後どうしたものか、辱めは消えることはないんだ、復讐をしても意味はない」 ルイズは、ワルドの言葉に驚き、目を大きく見開いた。 復讐を自ら否定したのだ、ならば、なぜルイズと行動を共にしているのか、疑問がわき起こる。 「けじめだ。これは男としてのけじめなんだ。父を殺し、母を自殺に追いやったリッシュモンを決して許しはしない。けれども殺したところで、優しかった母は、辱めを受ける前の母は帰ってこない」 「ワルド、あなた」 「聞いてくれルイズ、僕は救われた気がしたんだ、君がリッシュモンを殺すと誘ってくれたときに、僕はもう母の無念を忘れてしまった!」 「!」 「僕が死罪を免れないのは理解している、だがそんなことはどうでもいい。僕はただ、リッシュモンと自分にケジメをつけたい。……それを決心させてくれたのは、君のおかげだよ、ルイズ」 ルイズは、たまらなくなってワルドから目をそらした。 「やめてよ」 心なしかルイズの声は震えていた、二人を照らす炎のゆらめきか、肩が小刻みに震えて見えた。 「馬鹿じゃないの、死にたがっているだけじゃない…私はあなたを利用したいだけよ、だからお母様を生き返らせようとしたのよ。私は…そんな女よ」 そっと、ルイズの肩を抱いて、ワルドが呟く。 「なあ、ルイズ、僕はクロムウェルが死者を蘇らせたのを目の当たりにした。 生前と変わらぬ姿で蘇った彼らは、生前の誇りも忠誠心もどこかに置き忘れて来たのか、クロムウェルに忠実に従っていたよ。 始祖ブリミルのお導きが僕らの運命なら、我々は皆運命の奴隷じゃないか。 もしクロムウェルに母を蘇らせてくれと頼んでいたら、僕は母を運命とクロムウェルの奴隷にしてしまうところだった………。 母の本音を聞かせてくれたのは、僕を大人にしてくれたのは、君だよ、ルイズ」 ルイズは、膝の上で強く自分の手を握った。 怖くて怖くて、体が震えた。 人から信頼されることが、人から礼を言われることが、人の人生に関わることがこれほどまでに責任感の伴う恐ろしいことだとは思ってもいなかった。 ワルドの心境の変化は、多くの貴族が顧みることのない『立場に伴う責任』の重さを、ルイズに十分過ぎる程感じさせていた。 アンリエッタはこの重圧に耐えているのだろうか? そんな疑問が頭をよぎったが、それを考えると深みにはまってしまいそうで、ルイズはただ静かに震えていた。 「!」 不意に、何かが割れるような音が聞こえ、ルイズは顔を上げた。 「ルイズ?」 「あ…何かが割れる音がしたわ…足音も…こっちに近づいてくる」 ワルドも耳を澄ましていると、しばらくして誰かがこちらに向かって走ってくるような足音が聞こえてきた。 ドン!と音を立てて扉が勢いよく開かれ、無精髭を生やした30代半ばの男性が小屋に飛び込んできた。 警戒しようとするワルドをルイズが手で制し、焚き火に倒れ込みそうになる男をもう片方の手で押さえた。 「はぁつ、ひい!ああ」 「ちょっと、どうしたの?」 パニックに陥っている男をルイズがなだめつつ、ワルドが扉から外の様子をうかがう。 流れる風に違和感はないはずだが、男の様子も相まって何か嫌な予感がした。 男を椅子に座らせてなだめていたルイズは、男がある程度落ち着いたと判断して、ワルドに外の様子を聞いた。 「外の様子はどう?」 「特に何も見えない、風にも違和感を感じない…」 「何も見えない…ですって?」 ルイズはワルドを押しのけて外の様子を見た、小刻みに鼻をふるわせ、空気の臭いをかぐ。 ルイズの目つきが変わった。 「さっき私が聞いた音はガラスの割れる音よ、たぶんカンテラの音。あの男には油の臭がしたから間違いはないと思うわ。でも…外の空気に油の臭いは感じられない…火が燃え移った様子もないわよ」 「何者かに追われていたと?」 「メイジに追われるような風体には見えないわよ、傭兵、物取りにしては人間の臭いがしないわ…臭いがなさ過ぎる」 「風下に回ったか」 「おそらくね。……もう、厄介ごとばかり増える、やんなっちゃうわよ」 ずしん、と、地響きにも似た振動が足に伝わってきた。 「今の音は」 ワルドが呟く、どうやらワルドにも聞こえていたようだ。 「あ、ああ、ばけものが!ばけものが、追ってきたんだ!ああ!」 男は顔中から噴出する汗を押さえ込むかのように、頭を抱えがたがたと震えだした。 「落ち着いて、化け物って何?貴方は何に追われていたの、教えてちょうだい」 「半分、半分の牛の頭が!」 ルイズとワルドは、牛と聞いてギョッとした。 牛のような化け物といえば、一つしか思い当たらない。 ここから逃げようと考えたルイズはワルドを見る、ワルドも同じ気持ちだったのか、視線を交差させただけで二人は頷いた。 次の瞬間、ずしん、と大きな振動が伝わった。 同時に、ルイズは男とワルドを掴んで小屋の外に飛び出し、地面に転がった。 「ブゴオオオオオオオ!」 ルイズの失敗魔法のような爆音と共に、小屋は木片となって吹き飛んだ。 一瞬早く飛び出していたルイズとワルドは体勢を立て直していたが、男は腰が抜けてしまったのか、立ち上がることも出来ずに地面にへたり込んだまま動かなくなってしまった。 一撃の下に小屋を吹き飛ばした存在を、二人は冷や汗を流しつつ見上げていた。 身の丈4メイル近い赤黒い巨体と、牛のような頭を持った亜人、ミノタウロスがルイズを見下ろしていた。 「グフゥーーーッ!グフッ!」 涎や鼻水をだらだらと垂らしながら、荒い呼吸を繰り返しているミノタウロス、頭の右半分は抉られたかのように欠けており、右目も潰れているようだった。 「なるほど。あの傷では凶暴にもなるな」 ワルドが髭を撫でながら呟く、メイジの生命線たる杖を所持していないのに、余裕すら感じられる笑みを浮かべている。 「囮になろう」 そう言ってミノタウロスの前に出ようとするワルドを、ルイズが制した。 ミノタウロスの左目は、はっきりとルイズの姿を写していた。 「逃がしてくれそうにもないわね」 ルイズが呟くと、ミノタウロスは確かにその唇をゆがめて、笑った。 ぶふっ、と鼻息を鳴らした次の瞬間、ミノタウロスの左腕がルイズを殴った。 「フンッ!」 ルイズは右腕を縦にしてミノタウロスの腕を防ごうとしたが、ミノタウロスに殴られた瞬間、ルイズの体は軽々と宙を舞った。 バキバキバキバキと音を立てて、ルイズの衝突した幾本もの木々が倒れていく。 大人の胴よりも太い木の幹を、八本ほど倒したところでルイズの体が止まる。 全身を叩きつけられつつ、ルイズは空中で体勢を変え、木を蹴ってより高い空を舞った。 「WRYYYYYYYYYYYYYYY!」 ルイズの手刀がミノタウロスの頭部を狙うが、ミノタウロスは素早く身をかがめると腕を頭の前でクロスさせてルイズの手刀を防いだ。 べろん、とミノタウロスの皮が裂けて肉が露出するが、圧倒的な体格の違いのせいか、ルイズの一撃は致命傷を与えるには至らない。 ルイズはミノタウロスの攻撃を避けつつ、反撃の機会を伺うが、ほとんど理性を失っているミノタウロスの攻撃はがむしゃらで隙がない。 ルイズの力を持ってしても、ダメージを与えることはできるが致命傷を与えられないのだ。 「くうううっ」 ミノタウロスの巨大な腕と、鋭い爪を防ぐので精一杯。 その間にも焚き火の火が小屋の破片に燃え移り、森は少しずつ火に包まれていった。 「KUAAAAAAAA!」 じりじりと、ルイズが押されていく。 ミノタウロスの爪がルイズの首を狙い、避け損ねたルイズは、髪の毛を切られてしまう。 ピンク色の髪の毛が宙を舞うのを見て、ワルドが思わず叫んだ。 「ルイズ!」 「離れてなさい!」 「違う!火に包まれるぞ!」 ワルドの叫びを聞いて、ルイズははじめて周囲が燃えているのに気づいた。 夜目が利きすぎるから気づかなかったのか、戦いに集中していて気づかなかったのか、そのどちらかと問われたら間違いなく後者と答えるだろう。 ミノタウロスは強敵だ、再生能力が強く、皮膚は硬く筋肉も強い、そして何よりそのスピードとパワーが吸血馬を思わせるほど強い。 これでは血を吸う暇も、肉腫を埋め込む暇もない。 それなのに心のどこかが喜んでいる、強敵に出会えて、自分の全力を出し切って戦える相手がいて、嬉しい、嬉しいと喜んでいる。 ルイズの体と心が、震えた。 「おああああああアアアアァァァアああああアァアああ!!」 ルイズの叫びは、吸血馬に届いた。 柔らかい女性の体つきが、鍛え抜かれた女戦士と見まがう程の体つきに変わっていく。 体の細さはそのままだが、体内の筋肉繊維と皮下脂肪に、吸血馬の毛が絡みつき、筋肉が浮き上がる。 腕と足に埋め込んだ吸血馬の骨は、ルイズの体に吸血馬の力と、鋼のような硬度を生み出す。 ミノタウロスの腕から血が弾ける。 ルイズの腕、吸血馬の骨を埋め込んだ手首から、銀色のタテガミが生えていた。 毛は剣を形作り、ルイズの腕から剣が横に伸びた形になる。 ルイズは踊るようにミノタウロスの強靱な皮膚を切り裂き、筋肉を断ち切り、骨を粉砕していく。 燃えさかる炎に照らされたルイズ。 両腕から生えた剣が、光を反射して銀色に輝く。 ワルドは逃げることも忘れて、ルイズに見とれていた。 「!」 はっと気を取り直したワルドが、近くに落ちている木片を手に取り、先端を火であぶる。 槍のように細長く砕けた木片に火をつけると、ミノタウロスの視線がルイズに集中しているのを確認してから、その左目に向けて槍のように投げつけた。 残った目を攻撃されるのは嫌なのか、ミノタウロスは身を反らせば避けられそうな木片を過剰に怖がり、手で顔を隠しつつワルドに向き直った。 「ガアアッ!!」 人間を軽くミンチにする豪腕と爪がワルドを襲う、だが、ワルドは『閃光』の二つ名の通り、紙一重でその攻撃を避けると、炎の渦巻く火の中に飛び込んだ。 ミノタウロスは燃えさかる木々を薙ぎ倒すと、怒りにまかせて鼻息を荒げ、グオオオオと雄叫びを上げた。 その隙を見逃すルイズではない、ルイズは両腕を高く掲げ、手首から生えた剣を腕と平行に伸ばした。 後ろを向いたミノタウロス、その心臓めがけて、腕を向けると、全身の筋肉をバネのようにしならせて地面を蹴った。 ルイズの脚力を吸収しきれなかった地面が、クレーターのようにへこむ。 「AAAAAAAーーーーーッ!!」 ルイズの体はまるで大砲の砲弾のような勢いでミノタウロスの胸にぶち当たり、腕から生えた剣はミノタウロスの心臓を貫通し、先端が背中へと飛び出ていた。 ズキュンッ、ズキュンッ、ズキュンッ と音を立てて一気にミノタウロスの血を吸い取る。 ミノタウロスは背中に張り付いた何者かを払おうとして、自分から火の中に倒れ込んだが、ミノタウロスの血を吸い続けるルイズは体を焼かれても瞬時に再生してしまう。 ミノタウロスは乾いていく体を火の中に投げ込んだことで、炎に焼かれながら寒さに震え、もがいた。 炎の中から、ワルドが飛び出す。 風系統のスクエアである彼は、風の流れから温度の低い場所を探してそこを通り抜け、炎に身を隠しつつ移動していたのだ。 服の所々は焦げていたが、髪の毛にも髭にも焦げた後が見あたらないのは彼のダンディズムか、ポリシーだろうか。 「ルイズ!」 ワルドが叫ぶ、炎の中に落ちたルイズを探そうと辺りを見回す。 すると、炎の中で何かがゆらりと動くのが見えた。 炎の揺らめきではなく、明らかに人間の形がゆらめいている。 腕から生えた剣を、ミノタウロスの体に突き立てたルイズが、空に向けて吼えていた。 「WRYYYYYYYYYYYYYYーーーーーーーー!!」 血を吸い尽くしたルイズは、ミノタウロスの体を、挽肉にするかのようにずたずたに切断し、火の中に投げ込む。 ミノタウロスの再生能力は非常に強く、火で焼いただけでは蘇る可能性があるのだと、昔教わった覚えがあるのだ。 五体を32分割した後、ルイズは地面を蹴って高く跳躍し、ワルドの眼前へと着地した。 「ふっ、ふぅう…ワルド、逃げるわよ」 「ああ」 布きれが焼け落ち、全裸になったルイズと、ワルドの二人が森の奥に向けて駆け出そうとする。 が、その前にルイズは、地面に倒れ気絶している男を背中に乗せた。 「どうするんだ、その男を」 「放っておく訳にはいかないでしょう」 「そうかい?」 「そうよ」 「そうかな」 「そうよ」 二人は大火事を背にして、その場から走り去った。 翌朝、ルイズは森から出て、街道沿いの村にたどり着いていた。 地理的にはガリア寄りの、この村では、大火事を確認しに行った男達が帰ってくるところだった。 ルイズは村に入る前に、背負っていた男の記憶を確かめることにした。 茂みの中で、ルイズは男の頭に肉腫を埋め込む。 びくんと体を硬直させ、男は目を覚ました…が、目は虚ろであり、意識は覚醒していない。 「あなたの村はどこ」 「げるまにあの こっきょうぞいの」 ルイズは男にいくつかの質問をした、どこの出身か、どこの村の出か、なぜミノタウロスに追われていたのか…… 森の中で頭に傷を負ったミノタウロスに仲間が殺され、必死で逃げてきたらしい。 逃げている最中に、明かりのついた小屋を見つけたので、助けを求めて駆け込んだのだとか。 ルイズは暗示をかけるように、肉腫を操りながら男に言い聞かせた。 自分の顔に大きく傷を付けると、中途半端に皮膚を再生し、火傷痕を再現する。 「あなたが見たのは、顔に火傷を負った短髪の女。名前は知らない、そうね?」 「ああ、うん、やけど、かみのけ、みじかい」 「ミノタウロスに小屋を襲われた後、貴方は一人でここまで逃げてきた…」 「お、おれは、ひとりで、ここまで、にげてきた」 男がルイズの言葉をたどたどしく復唱する。 それを確認してから、ルイズは肉腫を男の頭から抜き取った。 ふっ、と男の意識が無くなると、ルイズとワルドの二人は村から盗んだボロ布を身にまとって、街道へと歩き出した。 傷跡を治してしまえば、もう別人。ルイズはそう考えていた。 しばらくしてから男は村人に発見された、服の焦げ後から火事に巻き込まれた男だと判断し、事情を聞くためにも手厚く介抱された。 街道は、意外にも人の通りが少なかった。 二人は昨晩の話をしつつ、街道を歩く。 「それにしても…綺麗だった」 「あら、何が?」 「君の戦いぶりさ、腕の剣と、一糸まとわぬ体が炎に照らされて輝いていた……あんなのは初めて見たよ」 「やめてよ、恥ずかしいわ」 思い返してみると、ワルドに全裸を見られたのは一度や二度ではない。 今だってボロ布のマントの下には、申し訳程度の腰布しか巻かれていないのだ。 急に顔から火が出るような気がした。 「あの剣は何だい?突然、腕から生えたような気がしたが」 「あの子が…吸血馬が力を貸してくれたのよ。色が抜けて銀色になったけど、たぶんあの子のタテガミね」 「死して尚、主人のためにか…僕とは大違いだな」 「本当に大違いよ。でも……」 ルイズは、何かを言いかけたが、結局口をつぐんだ。 肉腫の力で吸血馬を洗脳していたことに、後悔しているが、だからといって今更何を言えば良いのか解らなかった。 「ルイズ、折角だから、名前を付けたらどうだ」 「名前?」 「ああ、東方から伝わった書物によれば、腕から剣を出す術に名前があったんだ…確か、リスキニハーデンとか……」 「私のこの”剣”にも、名前を付けろって?ふふ…デルフが拗ねるわね」 「そうだ……”光のモード”というのはどうかな。炎にきらめいて、美しかったから思いついたんだが」 「名前なんてどうでも良いわよ。でも、ワルドって意外と子供っぽいのね。名前一つ決めるのがそんなに楽しい?」 「何を言ってるんだ、僕を大人にしてくれたのが君なら、僕を子供扱いしてくれるのも君だけだよ、ルイズ」 ワルドの笑みに、ルイズははにかみで答えた。 ふと思う…人間は死を覚悟できるからこそ輝かしい。 ウェールズを守ろうとしたアルビオンの衛士達がそうだったように。 人間は、もしかしたら、いずれ死んでしまうからこそ美しいのではないだろうか。 焼けこげた森の中では、近隣から派遣された部隊が消火活動を続けていた。 火の勢いは強く、簡単には消すことは出来ない。 地方のメイジ達だけでは簡単には対処できぬほどの大火だった。 だが、たまたま近隣貴族の領地を視察していた一人のメイジが、この火事を消し止めた。 十人を超えるメイジでも消せなかった火事を、いとも簡単に消した女性の名を、カリーヌ・デジレという。 ラ・ヴァリエール家に帰ろうとする馬車の窓から、鎮火した森を見つめていたカリーヌは、従者の一人が扉をノックしているのに気づいた。 「奥様、お耳に入れたいことがございます」 「申しなさい」 「火事は、怪我を負い正気を失ったミノタウロスが山小屋を襲撃したことで起こったようです。生き残った者は、ミノタウロスと戦った人物が二人いたと話しております」 「……」 「ピンク色の頭髪、年の頃は20、顔立ちは幼さを残し、顔に大きな火傷のある女性。それと元貴族らしき20代後半の男性の二人だったと……」 そこで従者の言葉が止まる。 カリーヌは、何か言いにくいことがあるのかと察した。 「……続けなさい、言いにくいことでもかまいません」 「はっ! …元貴族らしき男は、その女性を『ルイズ』と呼んでいたそうです…」 「下がりなさい」 「はっ」 がたごとと揺れる馬車の中で、カリーヌは、無意識のうちに杖を握りしめていた。 To Be Continued→ 戻る 目次へ
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん その後、霊夢達はアーソンとアニエスに連れられて生殺し状態となっている被害者ことカーマンの前に立っていた。 全身のほぼ氷に覆われ、まるで芋虫のような状態となってしまった貴族を見て、流石のゼッサールは息を呑んでしまう。 彼も最初にそれを見たアニエス同様死んでいるかと思ったが、ぎこちない動作で顔を上げたソレと目が合ってしまったのである。 予想外の見つめ合いに視線を逸らす事も出来ない彼は、そのまま背後にいるアニエスへと質問を投げかけた。 「これが…被害者の貴族殿かね?」 「はい、既に死んでいられるようにも見受けられますが…まだ辛うじて生きてはおります」 「生きてはいるって…しかし、これでは…」 自身の質問に答えたアニエスの言葉に、彼は信じられないと言いたげな表情を浮かべてようやく視線を逸らした。 職業上悲惨な状態となった死体は幾つも見てきたつもりだが、この様な状態になってまで生きている者など初めてみたのである。 無理も無い、何せここ数十年のトリステインではこの様な状態になる者が出来るほどの戦争などなかったのだ。 幸い吐き気を堪える事はできたが、もはや安楽死させるしかない者からの直視というものは中々辛いモノがある。 一方の霊夢はというと、その視線をジッと足元に転がる老貴族…ではなく、一番奥に見える大きな扉に目を向けていた。 自分を取り押さえた警備員たちが下水道がどうこうと言っていたので、恐らくあの扉の向こうは外に通じているのだろう。 正直な所、今の霊夢は自分が最初に見つけた初老の貴族の事よりもそのドアの向こう側が気になって仕方が無かった。 (彼にこんな仕打ちをしたであろうヤツは気配からしてここにはいないだろうし…やっぱり、あの扉から外へ出たんでしょうね) 最初にここへきた時にもとりあえずその扉を開けようとしたのだが、駆けつけた警備員たちに止められてしまっていた。 それでも無視して開けようとして、ドアノブを捻った所で更にやってきた警備の者達に取り押さえられてしまったのである。 その後はデルフを取り上げられて頭を押さえつけられながら、警備室に連行されそうになったのは今思い出してもハラワタが煮えくり返ってしまう。 (まぁあの後すぐに追いかけてきてくれたルイズのお蔭で助かったけど…結局ドアの向こうには行けずじまいだったのよね…) 今からでもドアの前にいる警備員を押し退けていけないものかと、そんな無茶を考えていた彼女の肩を、何者かが掴んできた。 ドアの方へと注目し続けていた彼女は「ひゃっ!?」と驚いてしまい、慌てて振り返ってみるとそこには怪訝な表情を見せるアニエスがいた。 「…ど、どうした?そんな急に、驚いて…」 どうやら急に驚いたのは彼女も同じだったのか、ほんの少し身を竦ませている。 驚かされた霊夢は溜め息をつきつつも、ジト目でアニエスを睨みつけた。 「そりゃーアンタ、人が考え事してる時に肩なんか叩かれたら誰だって驚くわよ?」 「む、そうだったのかそれはスマン。…それよりも、先にお前を連れて来いと言ってきた貴族様の顔を見てやれ」 「貴族さま?…って、あぁ」 アニエスの言葉に視線を床へと向けた彼女は、あの初老の貴族が自分の方へ顔を向けているのにようやく気がついた。 今にも砕け散ってしまいそうな程魔法で生み出された氷に包まれた彼の顔は、醜くもどことなく儚さが垣間見える。 恐らく彼自身も気づいているのだろう。自分はもう長くは生きられない事と、死が間近に迫っているという事も。 そして彼は最初にここへ来た霊夢を呼びつけたのだ。その少女の姿に反して、鋭い目つきを見せていた彼女を。 死にかけの状態に瀕したカーマンは、自分を見下ろす少女へ向けてその口をパクパクと微かに動かしていく。 凍り付いていく顎の筋肉を懸命にかつ慎重に動かし、ひたすら霊夢に向かって口を動かし続けている。 まるで望遠鏡越しにしか見えない程遠くにいる人間が覗いている者に向けて行うジェスチャーの様に、その動きには必死な気配があった。 「……よっと」 そして彼の視線と口の開閉から何かを感じ取ったのか、彼女は突然その場にしゃがみ込んだのである。 床に転がる彼とできるだけ視線を合わせた後、自身の左耳を彼の口元へと傾けていく。 突然の行動にアーソンは一瞬止めようかどうか迷い、結局はそのまま見守る事にした。 アニエスやゼッサールも同じなようで、周りにいる他の衛士達同様これから彼女が何をするのか気になってはいた。 耳を傾け、自らの話を聞いてくれようとする霊夢へ向けてカーマンは蚊の羽音並のか細い声で喋り出したのである。 「―――、――――…?」 「……私は単なる通りすがりの巫女さんよ。…まぁ今はワケあってこの国にいるけど」 カーマンが一言二言分の小さな言葉を出した後、その数倍大きい声で霊夢が返事をする。 アニエス達には彼が何を言っているのかまでは聞き取れないが、ここへ彼女を呼び出したからには何かワケがあるのだろう。 そう思ったアニエスは霊夢に続いてしゃがみ込み、彼女の隣で話を聞こうとソット耳を傾けたのである。 「―――――、―――――」 「いや、見てないわ。私が駆け付けた時にはもう誰もいなかったし…」 続けられる問いに霊夢は首を横に振るのを見た後、彼は更に質問を続けていく。 「――――、――――――――」 「…成程。確かに、ここから逃げようとって思うならそこしかないわよね?」 風前の灯の様な彼の小さな言葉に彼女は納得したようにうなずき、下水道へと続く扉を注視する。 そして数秒ほどで視線を元に戻したところで、再び彼女に話しかけた。 「―――――、―――――――――」 「…?ズボンの右ポケット…?ここかしら…」 「あっ…おい、勝手に被害者に触るんじゃない」 何かお願いごとでもされたのか、急に彼のズボンの方へと手を伸ばしそうとた霊夢をアニエスが咄嗟に制止する。 すんでの所で停止した所で彼女は後ろにゼッサールへと顔を向けて、「どうします?」と指示を仰いだ。 ゼッサールはほんの数秒悩んだ後、先にズボンへと手を伸ばした霊夢に何を言われたのか聞いてみた。 「スマン、彼は今何と…?」 ゼッサールからの問い霊夢は彼を無言で睨み付けたものの、あっさりと話してくれた。 「…自分はもう長くない。だから死ぬ前に頼みたい事があるから、ポケットを探ってくれ…って言ってたのよ」 「そうか…頼む」 霊夢を通して初老貴族の要求を聞いた彼は、アニエスの肩を軽く叩いて許しを出す。 これをOKサインだと判断した彼女はコクリを頷いてから、霊夢に代わってズボンの右ポケットを探り始める。 薄い氷に包まれたズボンはとても冷たく、今にも自分の手までも凍ってしまいそうな程だ。 夏であるにも関わらずその体はゆっくりと温度が下がり、薄らと肌に滲んでいた汗すらもひいていく。 このまま探し続けていたら本当に凍ってしまうのではないかと思った矢先であった、アニエスが「…あった」という言葉と共に何かをポケットから取り出したのは。 それは霜の点いた革袋で、袋越しにも分かる出っ張りから中身が何なのかは容易に想像できた。 霊夢に代わって袋を取り出したアニエスが念のため口を縛っていた紐を解くと、中から金貨が数枚程零れ落ちた。 慌ててそれを拾うと掌の上に置いて、様子を見ていた他の三人にもその金貨を見せてみる。 「…これって金貨?袋の中にもまだ結構な量が入ってるけど」 霊夢が袋の中にある残りの金貨を見つめていると、再び初老貴族が何かを言おうとしているのに気が付く。 少し慌てて耳を傾けると、彼はか細い声で彼女に何かを伝え始めたのである。 先ほどとは違い、それは少しだけ長く感じられた。 頭の中に残された理性を総動員させたかのように、彼は霊夢の耳に遺言とも言える頼みごとを伝えていく。 正直なところ、それを聞くのが霊夢でなくとも良かったかもしれない。 しかし霊夢自身はそれを聞き捨てる事無く耳を傾け、彼が残りの命を消費して喋る事を一字一句受け止めている。 その表情に決してふざけたものなどなく、ただ真剣かつ静かに聞き届けていた。 やがて言いたい事は終わったのかカーマンが口を動かすのをやめると、霊夢はスッとアニエスの方へと顔を向ける。 彼の言葉が気になったアニエスは「どうした?」と霊夢に尋ねると、彼女は彼が言っていた事を口にした。 「そのお金でブルドンネ街三番通りの裏手にピエモンっていう男がやっている店があって、そこで三番の秘薬を買ってほしいと言っていたわ…」 「秘薬?その袋の中の金貨でか?」 「一応店自体は存在しています。…あの男、違法かつ高値を吹っかけてきますが秘薬生成の腕は本物です」 霊夢を通じて語られるカーマンからの言葉に、ゼッサールは袋の中身を一瞥しながら怪訝な表情を浮かべる。 そこへすかさず街の地理に精通したアーソンが補足を入れた事で、ゼッサールはある程度納得することができた。 確かに彼…もとい少女の言うとおりブルドンネ街の三番通り裏手には、そういう名前の男がやっている秘薬店は存在する。 非合法なうえにバカみたいな値段で秘薬を売っているが、表通りで売っているポーション屋よりも効果があるというのは結構な数の人が知っていた。 最も、その秘薬を調合するのにサハラ産の麻薬を使っている…という黒い噂もあるにはあるのだが。 今は多忙で無理だが、いずれは徹底的に調べてやると改めて意気込むアーソンを余所に、 アニエスはそれだけではないと、霊夢にカーマンの言っていた事は他にはないかと尋ねていた。 「…それで、そこで秘薬を買ったらどうすると言っていた?」 その問いに霊夢はコクリ頷いて「もちろんあったわ」と答えた後、少し言葉を選びつつもしゃべり始めた。 「あぁ~、確か…しぇる…じゃなかった、シュル…ピス…だったかしら?ここから少し離れた場所にある街にあるアパルトメントまで届けて欲しいって…。 名前は―――…そう、『イオス』だったわ。そこの三階の一室に住んでる自分の奥さん…アーニャっていう人に、届けてくれないか…って私に言ってきたわ」 慣れない発音に戸惑いつつも、最後まで言い終えた霊夢にアニエスは「そうか」とだけ返す。 彼女にはカーマン氏の身元は話しておらず、本来なら自分たちしか知らない情報の筈であった。 という事は、今話してくれた事は全て彼から伝え聞いたことであるのは間違いないだろう。 霊夢をとおしたカーマンの遺言を聞き終えたアニエスは、スッとアーソンとゼッサールの二人へと視線を向ける。 どうしますか?―――視線を通して伝わる彼女の言葉に答えたのは、同じ衛士隊のアーソンではなく、魔法衛士隊のゼッサールであった。 「彼もまた私と同じくトリステインの貴族。ならばその願いを応えてやるのが死にゆく者への弔いとなりましょう」 「…でしたら、秘薬の方は?」 「えぇ、住所さえ教えていただけたら私が秘薬を買い、そして彼の奥方へ届けます」 我が家名と、貴族の誇りにかけて。最後にそう付け加えると、彼は人の良さそうな笑みを浮かべて言葉を続ける。 「…とは言いましても、一貴族がそんな酔狂な事をするかと疑われればそまでですがね」 「いいえ、貴方なら信用できます。確証はないですが、信頼できる人だ」 軽い自虐とも取れるゼッサールの言葉にアニエスは首を横に振ると、彼に金貨の入った革袋を差し出してみせる。 一衛士からの賞賛に彼はただ「そうか、ありがとう」とだけ返し、数秒の間を置いてその革袋を受け取った。 掌の上にズシリとした微かな重みを感じつつ、渡されたソレを開けて再度中身の確認を行う。 ちなみに、最初にアニエスが紐解いた際にこぼれ出た分は受け渡す直前に戻している。 それでも念のためにと彼女の方へと視線を向けるが、それは相手も察しているのか大丈夫と言いたげに頷いて見せた。 受け取るモノをしっかりと受け取った後で、ゼッサールは自分を見上げる初老の貴族へと視線を向ける。 いつ息を引き取ってもおかしくない彼は、呆けた様な表情を浮かべていた。 一体彼が今何を考えているのか分からぬが、それでもゼッサールは死にゆく同胞に対しての礼儀を欠かさなかった。 軍靴鳴らしてつま先を揃え、腰から抜いたレイピア型の杖を胸元で小さく掲げた彼は落ち着き払った声で彼に別れを告げる。 「では少し時間は掛かるかもしれませぬが…貴方の遺言、しっかり叶えてみせましょうぞ。カーマン殿 自分と比べれば家は低く、決して裕福な生活では無かったものの、貴族として大先輩である彼への告別の言葉。 その言葉と顔を見て本気だと理解できたのか、呆けた表情から一変して穏やかな笑みを氷の張りつく顔に浮かべた彼は必死に口を動かし――― ――…あ・り・が・と・う…。 声無き言葉を彼に送った直後、その顔に穏やかな微笑みを浮かべたまま―――カーマンはその頭をガクンと項垂れさせた。 直後、氷に大きな罅が入った時のような耳障りな音と共に彼の後頭部に、大きな一筋の亀裂が入る。 それを見た霊夢は思わす「あっ…!」声を上げた彼の傍に寄ろうとするが、寸前にその足が止まってしまう。 彼女だけではない、アニエスやアーソン…ゼッサールを除くその場にいた衛士達も息を呑んでカーマンの遺体を見つめている。 正確には亀裂の入った彼の後頭部の隙間から夥しく溢れ出てくる、おぞましくも明るい赤色の血を。 まるで切込みを入れた果実から溢れ出る果汁の様にそれは彼の耳を伝い、赤い絨毯を鮮やかな赤で染めていく。 一切の動きを止めた彼に代わるかのように流れ出る鮮血が、薄暗い赤の上を伝って小さな血だまりを作る。 それを黙って見降ろす霊夢達の背後、突如として陰惨な光景には似つかわしくない活発な声が聞こえてきた。 「通るわよ…って、いたわ!こっちよマリサ!」 「おぉそっちか…やれやれ、ちょっと遠回りした気分だぜ」 『気分も何も、実際遠回りしてたとおもうぜ』 目の前に広がる光景とは剥離した少女達の声とそれに混じる男の濁声に、アニエスたちは思わず背後を振り返ってしまう.。 それに一歩遅れる形で霊夢も振り返ると、そこには案の定聞きなれた声の主たちがいた。 見慣れぬ書類一枚を片手に握った彼女は息を荒く吐きながら、じっと自分を睨んでいる。 その彼女の背後、廊下の曲がり角からはいつものトンガリ帽子を被った魔理沙がヒョコッと顔を出している。 直接目にしていないが、先ほどの濁声からして彼女の手には鞘に収まったデルフが握られているのが様に想像できた。 「ルイズ…それにマリサも?」 「おぉこれはミス・ヴァリエール…って、どうしてこんな所へ?」 二階のラウンジに閉じ込められていたルイズと魔理沙の姿を見て霊夢は怪訝な表情を浮かべ、 前もって事件の報告を聞いていたゼッサールも、目を丸くして驚いている。 「ミス・ヴァリエール!一体どうして…!?」 「おいっ!どこのどいつだ、彼女らを二階から出した馬鹿はッ!」 そんな二人に対して、現場を任されていた衛士の二人は目の端を吊り上げて怒鳴り声を上げた。 アニエスは怒りよりも先に困惑の色を浮かべて、ここまでやってきたルイズ達を見つめている。 一方でアーソンは曲がり角の向こう側にいるであろう部下たちに聞こえる程の怒号を上げた。 その怒声に部下である一人の衛士が慌てて彼の前に駆けつけ、敬礼の後に事の詳細を彼に教えよとする。 「は、はっ!実はミス・ヴァリエールはアンリエッタ王女殿下から特別な書類を貰っている事が判明しまして…」 「特別な書類?王女殿下から…?」 若干体を震わせる彼の報告にアーソンではなくゼッサールが驚くと、タイミングよくルイズがその書類を見せようとした。 「はい。実は私、姫殿下から女官として行動できる為の特別な許可……を……?」 手に持っていた書類を掲げてゼッサール達に見せようとしたルイズはしかし、途中でその言葉を止めてしまう。 その鳶色の瞳はただ真っ直ぐとアニエスたちの後ろ、霊夢のすぐ背後にある死体を見据えていた。 途中で言葉が止まったルイズを見て訝しんだ魔理沙もすぐにその死体に気付き、息を呑んでいるようだ。 「マジかよ…」と彼女にしては珍しい反応を見せて、視界の先で床に転がる白く赤いソレを見つめている。 「ルイズ」 言葉を失い、ただただ死体を見つめているルイズを見て流石に心配してしまったのか、 真剣な表情を浮かべたままの霊夢が彼女の名を呼ぶと、それに呼応するかのようにルイズは口を開く。 「ね、ねぇレイム?…もしかしてそこに転がってるのは――――」 「そうね。確かにお昼頃にぶつかった初老の貴族その人…だったわ」 最後まで言い切る前に、やや残酷とも思える淡々とした感じで言葉を返した瞬間、 ルイズの手から滑り落ちた書類が廊下の絨毯へと落ちる静かな音が、静かくて暗い天井に吸い込まれていった。 王都の中心部に位置するトリステインの王宮は、日が暮れても暫くは多くの人が外へと続くゲートをくぐっていく。 ゲートの前は厳重に警備されており、王宮所属の平民衛士や貴族出身の騎士たちが通る者の持ち物チェックなどを行っている。 やや過剰とも思えるセキュリティであったが、場所が場所だけにそれを大っぴらに批判出来る者はいなかった。 今日もまた多くの貴族たちが従者に鞄を持たせつつ持ち物を受けて、呼んでいた馬車に乗って自宅に帰っていく。 彼らの大半は王宮内で書類仕事を行っており、街の近郊に建てられた豪邸を買ってそこで暮らしている。 領地の運営等は代理任命した他の貴族に一任しており、彼らはもっぱら王宮で書類と睨めっこの日々を続けていた。 そしてその貴族たちの列とはまた別の列には、いかにも平民と一目でわかる者達が書類片手に並んでいる。 書類は往復可能な当日限定の通行手形であり、それを手にしている彼らは王宮の警護を一人された衛士達であった。 朝から働き、つい一時間前に夜間警備の者達と交代した彼らはこれから街で安い飯と酒で乾杯しに行く所なのである。 「ホイ、通行許可証。今から二時間、目的は夕食だ」 「あいよ。……それじゃあ、この前お前らが美味い美味いって絶賛してた屋台飯買って来てくれよ」 「おう、分かったよ」 顔見知りである夜間警備の同僚の手で書類に印を押してもらい、ついでそれを折りたたんで懐へとしまう。 次に持ち物検査をし、持ち出し厳禁の物を所持していない事を確認してからようやく外へと出られるのである。 これで暫しの間自由となった彼らは一人、あるいは数人のグループを組んで次々と繁華街の方へと歩いていく。 彼らの足が向かう先は唯一つ、美味い飯と安い酒に綺麗な女の子他達が大勢いるチクトンネ街だ。 トリスタニアが昼と夜で二つの表情を持つのと同じように、王宮もまた夜の顔を見せていく。 昼と比べて警備員の数が三割増しとなり、一部のエリアは固く施錠されて出入りを禁止される。 庭園や渡り廊下にはかがり火が灯され、衛士や騎士達が槍や杖を片手に警備を行っていた。 王宮内部の警備人員も増えて、槍型の杖を装備する騎士達が隊列を組んで絨毯の敷かれた廊下を歩いていく。 鉢合わせてしまった侍女たちは慌てて廊下の隅に下がって道を譲り、通り過ぎる騎士達に頭を下げた。 その光景を上階の廊下から眺めていたのは…この王宮に住まう若く麗しき姫君、アンリエッタであった。 ほんの少し手すりから身を乗り出して廊下を歩いていく騎士達を眺めていると、後ろからマザリーニ枢機卿の声が聞こえてくる。 「殿下、騎士団長殿から夜間警備の準備が完了したとの事です」 「…そうですか。でも報告しなくて大丈夫ですよ枢機卿?私はしっかり見ていましたから」 マザリーニからの報告にアンリエッタはそう返すと手すりから身を放しと、彼を後ろに付けて自らの寝室へ向けて歩き始める。 距離にすればそれ程遠くはない所にアンリエッタの新しい執務室があるのだが、そこへ至る過程が大変であった。 「…!一同、アンリエッタ王女殿下に向けて敬礼!」 「「「はっ!」」」 「…夜間警備、ご苦労様です。その調子で頑張ってくださいね」 途中すれ違った衛士達は立ち止まると勢いよく敬礼し、 「貴女は先週入ったばかりの新入りさんでしたね。どうですか、ここでの仕事は?」 「え?…えっと、大丈夫ですけど…」 「そうですか。…もし分からない事があれば、遠慮なく先輩方に質問してもよろしいですからね」 「いえ、そんな…こうして姫殿下に心配して頂けるだけでも、お気持ちを十分に感じられますから…」 顔を合わせた侍女が新入りの者だと気づけば、ちゃんとやれているかどうか聞いてあげている。 聞いてあげる…とはいっても単に一言二言程度であったが、それでも王族の者に話しかけられる事は滅多に無い事なのだ。 衛士達はもとより、侍女は不可思議な申し訳なさとしっかりとした嬉しさを感じていた。 そんな風に通りがかる者達に一々声を掛けていくと、自然と時間がかかってしまう。 本当なら歩いて十分で辿り着くはずの執務室の前に辿り着くのに、十五分も掛かってしまった。 「ふぅ…少し前なら然程時間も掛からなかったけど。…けれども、不思議と不快とは思わないわね」 「臣下に気を配るのも王女の定めというものですが、流石に衛士や侍女にまで一々声を掛けるのは」 「あら?少なくともあの人たちは政や会議の大好きな方々よりもずっと私に役だっていますのに?」 ドアの前でそんな会話を一言二言交えた後に、アンリエッタはドアの前にいる騎士に向かって軽く右手を上げた。 それを合図に騎士はビシッと敬礼した後にドアの鍵を上げるとノブを捻り、なるべく音を立てぬようにドアを開けた。 ドアを開けてくれた騎士にアンリエッタはニッコリと微笑みを向け、そのまま執務室へと入っていく。 それに続いてマザリーニも主に倣って頭を下げて入室すると、騎士はソッとドアを閉めた。 今後女王となる彼女が書類仕事をする際に使われる執務室は、歴代の王たちが仕事をしてきた場所である。 立派な暖炉に書類一式とティーセットを置いても尚スペースが余る執拗机に、着替えを入れる為の大きなクローゼット。 入り口から右を向けば壁に沿って大きな本棚が設置されており、収まっている本には埃一つついていない。 そして執務の合間にやってきた客をもてなす為の応接間は勿論、今は閉じられているもののバルコニーにはロッキングチェアまで置かれている。 極めつけは部屋の隅に設置された天蓋付きのダブルベッドであった。シングルではなく、ダブルである。 執務室…にしてはあまりにも豪華過ぎる執務室を見回してみたアンリエッタは、少し呆れたと言いたげなため息をついてしまう。 「今日で五回目のため息ですな。何か執務室にご不満でも?」 「いえ、不満…というワケではないのだけれど…正直執務室にあのような大きなベッドは必要ないのではなくて?」 相も変わらず今日一日のため息を数えている枢機卿にも呆れつつ、彼女は部屋の隅に置かれたダブルベッドを指さす。 「シングルならまだ分かりますよ。でもダブルで天蓋付きだなんて…あからさま過ぎて破廉恥ではありませんか?」 「…私も詳しくは知りませぬが、歴代の王の中には名家の女性と親密になる必要もありました故…」 隠すつもりの無いマザリーニからの言葉に、アンリエッタ思わず顔を赤くしてしまう。 そして何を思いついたのか、ハッとした表情を浮かべると恐る恐る彼に質問をしてみた。 「歴代…とは、私の父も?」 「いえ。もし入っていたとしたら、先王の死因が病死ではなく王妃様との揉め事になっておりますよ」 「それを聞いて安心しました。…あぁいえ、あまり安心はできませんが」 アンリエッタは父である先王があのベッドの上で゙極めて高度な交渉゙を行っていない事に安堵しつつも、 これから自分があのベッドの置いてある部屋で執務をするという事に、多少の抵抗を感じていた。 ひとまずマザリーニには明日にでもベッドをシングルかつシンプルな物に変えるよう頼んでいると…ふとドアがノックされた。 アンリエッタがどうぞと入室を許可すると、ドアを開けて入口に立っていた騎士が失礼しますと言って入ってきた。 怪訝な表情を浮かべた彼は敬礼をした後で気を付けの姿勢をして、アンリエッタに入室者が来ている事を報告する。 「殿下、お取込み中すいません。ただ今姫様に報告があるという事で貴族が一名来ておりますが如何いたしましょう?」 「それなら問題ありません。彼を通して上げてください」 「え…あ、ハッ!了解しました!」 思いの外早かったアンリエッタからの許可に騎士は慌てて敬礼する。 そして再び廊下へと出ると、彼と交代するかのように痩身の中年貴族が身を縮みこませて入ってきた。 黒いマントに黒めの服装と言う闇夜にでも紛れ込むのかと言わんばかりの出で立ちをしている。 年齢は五十代後半といった所か、一見すれば四十代にして老人と化しているマザリーニと同年齢に見えてしまう。 ややおっとりしと雰囲気を醸し出す顔には緩めの微笑みを浮かべて、アンリエッタ達に頭を下げて挨拶を述べた。 「夜分失礼いたします。姫殿下、それに枢機卿殿も…」 「そう過剰に頭を下げずともよろしいですわ『局長』殿。…わざわざ忙しい中呼びつけたのは私なのですし」 薄くなってきた頭頂部を見つめつつ、アンリエッタは自らが『局長』と呼んだ痩身の男へもう少し態度を崩しても良いと遠回しに言ってみる。 しかし痩身の男は頭を上げると「いえ、滅相もありません」と言って自らの謙遜をし続けてしまう。 「私の所属する部署を立ち上げてくれた貴方の御父上である先王殿の事を思えば、つい自然と言葉を選んでしまうものなのです」 「…そうですか。私の父の事を思っての事であれば、そう無下にはできませんね」 自身の父であり、歴代の王の中でも若くして亡くなった先王が再び出てきた事に、アンリエッタは神妙な表情を浮かべてしまう。 平民に対して比較的優しい政策を取っていた先代のトリステイン国王は、有能であれば例え下級貴族であっても重要な地位に就かせていた。 今こうして夜分に部屋へと呼びつけた痩身の彼も、その時に創立された『特殊部署』の指揮担当として採用されたのである。 その後、一言二言の言葉を交えた後で三人は応接間のソファに腰を下ろしていた。 一番最初に入室したアンリエッタが指を鳴らして点灯させた小型のシャンデリアが、部屋を眩く照らしている。 「ふむ、この応接間に入るのも久々ですなぁ。長らく人が入っておらぬようですが、しっかり手入れが行き届いてる」 「そうですな…ところで殿下、あの剥製に何か気になる所でも?」 「あぁいえ。鷹や極楽鳥はともかくとして…風竜の仔なんて一体どこで手入れたのかと気になりまして…」 マザリーニはふと、アンリエッタが応接間のの飾りとして置かれている剥製に視線が向いている事に気が付いた。 彼女の趣味ではなかったが壁や部屋の隅には、鷹や仔風竜の剥製が躍動感あふれる姿勢で飾られている。 良く見てみれば、隅に置かれている台座付きのイタチの剥製は毛皮の模様を良く見てみると幻獣として名高いエコーであった。 注文したのか、はたまた歴代の王の誰かが直接狩ってきたのか…今となっては知る由も無い。 ちょっとした見世物小屋みたいね…。あちこちに飾られた剥製に思わず目を奪われていると、 それを見かねたであろうマザリーニが咳払い…とまではいかなくとも彼女に声を掛けた。 「あの、殿下…気になるのは分かりますが、今は局長殿の報告を聞くのが先かと」 「…あ、そう…でしたね。失礼いたしました」 「いえいえ。何、そう焦る必要はまだありませぬのでご安心を」 枢機卿からの指摘でハッと我に返れた彼女は慌てて頭を下げてしまう。 それに対して痩身の男――局長も頭を下げ返した後、ゴソゴソと自らの懐を探り始める。 暫しの時間を要した後、彼がそこから取り出したのは幾つかの封筒であった。 全部計三枚、どれも王都の雑貨店で売られている様な手製の代物である。 星や貝殻のマークが散りばめられたそれらは、痩身かつ五十代の男には似つかわしくないものだ。 それを懐から取り出し、テープ目の上に置いた局長は落ち着き払った声でアンリエッタに言った。 「ここ最近、タルブでの会戦終了直後から『虫』の動向を探った各種報告書です。どうぞ御検分を」 「…………わかりました」 彼の言葉にアンリエッタは一、二秒ほどの時間を置いてからそれを手に取ってみる。 糊付けされた部分を指で剥がして封筒を開けると、中には三、四回ほど折りたたまれた紙が入っていた。 一見すれば手紙に見えるその一枚を、アンリエッタは丁寧に開いていく。 やがてそれを開き終える頃には、彼女の手の中にはちゃんとした形式で書かれた報告書が完成していた。 そこに書かれていたのは局長が『虫』というコードネームをつけている相手の、ここ最近の動向が書かれている。 アンリエッタがそれを読み始めると同時に、局長は静かにかつ淡々と報告書の補足を入れ始めた。 「これまでの『虫』は自身に火の粉が及ばぬよう、細心の注意を払っておりましたが…ここ最近はそれに焦りが生じております。 財務庁口座内にある預金の移動や分散などの額にその焦りが見られ、会戦後に引き出し額が右肩上りになっているのが分かりますか?」 局長の説明にも耳を傾けつつ、報告書に書かれている事を目に入れながらもアンリエッタはコクリと頷く。 報告書に書かれているのは『虫』が財務庁に預けている口座預金が、やや激しく減り続けている事に関して書かれている。 不可解な口座からの引き出しに次いで、その金を国内外の各所にある銀行等に預けているのだ。 正確な額こそは調査中であるが、すでに『虫』が国の口座内で暖めていた全預金内の五分の三以上はあるのだという。 それだけの額を持っているとなると…王族を別にすればかのラ・ヴァリエール家の全財産に相当するとも言われていた。 そしてこの国随一名家を引き合いに出せる程の大金が幾つかの手順を経て、国内外へと移動していく。 今後軍の再編などで財政を盤石にしたいトリステインとしては、この悪事を見逃す事など到底できなかった。 「これまでは複雑な手順、そして幾つものルートを経て幾つかの外国へ送金しており、追跡が困難だったのですが… 先週からはまるで開き直ったかのようにそれらを全て単一化させて、一つの外国の財務庁へとせっせと送金しております」 そんな説明を後から付け加えつつ、局長は懐から一枚のメモ用紙を取り出しテーブルに置く。 アンリエッタとは報告書から目を離し、マザリーニもそちらへと視線を向けてメモに何が書かれているのか確認する。 用紙に書かれていたのは四つの時刻であり、一見すれば何を意味しているのか分かりにくい。 しかしマザリーニはこの時刻に見覚えがあったのか、もしや…と言いたげな表情を浮かべて局長を見遣る。 分からないままであったアンリエッタが「これは…」と尋ねると、局長はまず一言だけ「移動手段ですよ」とのべた後に説明していく。 「王都発ラ・ロシェール行きの駅馬車と、中間地点にある道の駅で馬を借りれる時刻、そしてラ・ロシェールから出る商船の出航時間…」 そこまで聞いてようやくアンリエッタは気が付いた。このメモに書かれている時刻に、『何か』が運ばれていたという事を。 「…!運び出す者への指示…という事ですか?しかし、これを一体どこで…」 「それもつい先週です。『虫』の館から急いで出てきた不審人物を局員が追跡し、落としていったそれを拾い上げたのです」 「御手柄ですな。…それで、その不審人物はどうしたのですかな?」 自分たちが知らぬ間に思わぬ情報を提供してくれた彼に礼を述べつつ、マザリーニはその後の事を聞いてみる。 しかし、それを聞かれた局長は残念そうな表情を浮かべると、その首を横に振りながら言った。 「どうやら追跡されていたのを『虫』側も気づいたのでしょう。道の駅にいた仲間と思しき男に胸を刺され、即死でした」 その言葉に二人が思わず顔を見合わせた後、局長は自分の考えと合わせて事の経過を報告した。 今回の件で殺されたのは二年前に『虫』の小間使いとして働いていた平民で、最近金に悩んでいたらしい。 恐らくそこを元主の『虫』にそそのかされたのだろう。早い話、こちらの動きを探る為の捨て駒にされたのである。 「『虫』は我々の存在を知っている側。自分のしている事が御法度だと自覚していれば確実に監視されているだろうと警戒する筈です」 「だから今回、その元小姓を利用して監視がついているかどうか確認しようと…?」 信じられないと言いたげなアンリエッタの言葉に、局長はゆっくりと頷いた。 その頷きを肯定と捉えた彼女は目を丸くすると、狼狽えるかのように右手で口を押さえてしまう。 此度の件の機密上『虫』と呼称してはいるが、その『虫』と呼ばれる者に彼女は色々と助けられてきたのだ。 先王の代から王宮勤めで功績を上げて、幼子だった自分を抱いてくれたという話も彼や母の口伝いで聞いている。 普段の仕事も宮廷貴族としては至極真面目であり、今やこの国の法律を司る高等法院で重要な地位に就いている身だ。 その地位も貧乏貴族であった若い頃から築き上げてきた業績があってこそであり、並大抵の金を積んでも手に入る物ではない。 アルビオンとの戦争が本格的に決まった際には、色々と言い訳を述べて遠征を中止するよう提言してきたが、それも全て国の為を思っての事。 歴史を振り返れば、遠征の際には莫大な出費が掛かるもの。事実今のトリステインには自腹で遠征をできる程の財力は無い。 今は財務卿や同席している枢機卿がガリア王国に借金の申請をしており、これから数十…いや半世紀は借金の返済に追われる事だろう。 下手をすれば自分の自分の子の代にも背負わせてしまうであろう借金の事を考えれば、彼が遠征に反対する理由も何となく分かってしまうというもの。 だからアンリエッタも彼――『虫』の事を内通者として疑いつつも、心の中では違うと信じていた。信じていたのだ しかし、その儚い希望は局長の報告によって、いとも容易く打ち砕かれてしまったのである。 「……………。」 「殿下…」 残念そうに項垂れるアンリエッタを見て、マザリーニは「そのお気持ち、分かります」と言いたげな表情を浮かべてしまう。 流石の局長もこのまま話を続けていいのかと一瞬躊躇ったものの、心を鬼にしてなおも報告を続けていく。 「そ、それでは続きですが…その元小姓を殺した男は、逃げようとした所を駐在の衛士に取り押さえられましたが…目を離した隙に」 「…隠し持っていた毒を飲んで自殺、でよろしいですね」 気を遣いつつも報告を続けていく局長はしかし、最後の一言を顔を上げたアンリエッタに奪われてしまう。 直前まで項垂れていた彼女の顔は苦々しい色を浮かべてはいるが、疲れているという気配は感じない。 前に進もう、という意思を感じさせる瞳に一瞬局長は唖然とした後、慌てつつも「あ、そうです」と思わず口走ってしまう。 その言葉にアンリエッタは小さなため息と共に頷き、報告書の最後の行に目を通した。 「小姓を殺し、服毒自殺した男は身分証明できる物を持っておらず身柄不明。…これはプロとみて良いのでしょうか?」 「プロ…と言っても自殺できる度胸のあるプロの鉄砲玉と見てください。男については追々こちらで調べるとして…ここで二枚目に移りましょう」 アンリエッタの質問にそう答えると、局長はテーブルに置いていた二枚の封筒の内もう二枚目を手に取って彼女に渡す。 ドラゴンとグリフォンのイラストが描かれた男の子向けの封筒を開き、アンリエッタは中に入っている報告書を取り出した。 そして一枚目と同じように開き、最初の数行を読んだところでギョッと驚いてしまう。 封筒の中に入れられていた羊皮紙には、彼女が予想していなかった内容が書かれていたのだから。 驚いた彼女を見てマザリーニもその羊皮紙の内容へと目を向け、次いで「これは…」と言葉を漏らしてしまう。 ただ一人、この手紙を持ち込んだ局長だけは落ち着き払った態度で二人からの言葉を待っていた。 それに気づいたのか、アンリエッタはスッと顔を上げると手に持った羊皮紙を指さしながら彼に聞いた。 「あの、局長これは…」 「明日の午後から明後日の夕方、殿下がシャン・ド・マルス練兵場の視察があると聞き、此度の『作戦』を提案致しました」 局長からの返答にアンリエッタは何も返せず、もう一度羊皮紙へと目を戻すほか無かった。 彼女が今手に持つその紙の上には、穏やかとはいえないその『作戦』の手引きが書かれている。 どんな言葉を口にしたら良いか分からぬ彼女へ、局長は申し訳なさそうな表情を浮かべて言葉を続けていく。 「『虫』がある程度焦りを見せていると言っても、ヤツは未だにその化けの皮を脱ごうとする気配はありません。 今回提案した『作戦』はいわば貴女を使った囮作戦。奴と、一時的に奴の配下になっている連中を炙り出す為のものです。 殿下には視察を終えた後、道中休憩を取る予定である道の駅で私の部下と共に王都へいち早く戻って貰います。」 文面にも書かれてはいたが、いざこうして書いた本人の口から言われるとまた違うショックを受けてしまう。 大胆かつ急な作戦にアンリエッタが何も言えずにいると、それをフォローするかのようにマザリーニが局長に質問した。 「しかし、それでは護衛を担当する魔法衛士隊や騎士隊のもの、ひいては王都警邏の者が騒ぎますぞ…」 「大いに結構。いなくなったときには王都中で殿下の大捜索『ごっこ』をしてもらいたい」 ――――何せ、それがこの『作戦』の狙いなのですから。 マザリーニからの質問で局長は最後に一言加えた後、この『作戦』の主旨を説明していく。 「今回提案した作戦において重要なのは、今も尚高みの見物をしている『虫』を表に引きずり出す事です。 先ほども話したようにヤツは今焦りを見せておりますが、狡賢く知略に長けている故に今はまだ鳴りを潜めています。 ですが奴といえども、王家である貴女が奴の知らぬ存じぬ所で消えれば、いくら『虫』といえどもそこから来るショックは相当なものでしょう そして今、『虫』の手元にいる配下の大半はこの国の出身ではなく、かの白の国――あのアルビオンからやってきた連中です。 彼らは今現在『虫』の指示で動いていますが、それは本国からの指示だからであって、彼ら自身は『虫』に忠誠を誓ってはいません。 その気になれば今は派手に動かない『虫』の意思を無視して大胆な行動に移れるでしょうが、『虫』はそれを望んでおれず絶らず彼らを牽制している。 アルビオンの者たちも、一向に動かない『虫』に痺れを切らしかけている。……そんな現在の状況下で、殿下が失踪した!などという情報が流れれば…」 局長が最後に口にした自分の失踪と言う言葉を聞いて、アンリエッタはようやく彼の言いたい事に気が付く。 ハッとした表情を浮かべ、羊皮紙を握る手に自然と力が入り、その顔には微かだが怒りの色が滲み出てくる。 「つまりはこの私を釣り餌に見立てて、双頭の肉食魚を釣ろうという魂胆なのですね?」 「そういう事です。衛士隊や騎士隊の者達には、盛り上げ役として頑張ってもらいます」 流石にこれは怒るだろうと思っていた局長は、微かな怒りを見せるアンリエッタに頭を下げつつ言った。 黙って聞いていたマザリーニも流石に怒るのは無理も無いと思ってはいたが、同時に効果的だという評価も下していた。 影武者を用意するという方法もあったであろうが、相手が『虫』ならばそれがバレてしまう可能性が高い。 そうなればすぐに仕組まれた計画だと気づかれて、作戦が台無しになってしまう。 「……分かりました。多少…どころではない不安は多々残りますが、貴方の事を信用すると致しましょう」 「ありがとうございます殿下。我々も最善を尽くして此度の作戦を成功させてみせますゆえ」 まだ怒っているものの、一応は納得してくれたアンリエッタに局長は深々と頭を下げる。 確かに彼女の不安は仕方ない物だろう。作戦の概要を見たのならば尚更だ。 そんな作戦に彼女は協力してくれるというのだ、失敗は絶対に許されない事となった。 局長は作戦の人員配置をどうしようとかと考えを巡らせつつ、下げていた頭をスッと上げる。 「では詳しい事は明日の朝一番に…それでは最後となりましたが、その三枚目の封筒を…」 彼はテーブルに置かれた最後の一枚…先の二枚よりも二回り大きい茶色の封筒を手に取り、アンリエッタへと手渡した。 彼女はそれを受け取り封を切る、その前に気が付いた。封筒の中に入っているのは一枚の紙ではない事に。 恐らく自分の指の感触が正しければ、最低でも十枚ぐらいだろうか?少なくとも数十枚の紙が入っている気がした。 「あの、局長。これは…?」 「先月殿下から許可を頂いた、当部署の人員を増加に関して、我々が在野から探し当てた者達のリストです」 自分の質問にそう答えた局長の言葉に、アンリエッタは今度こそ封を切って中身を取り出してみる。 案の定、中に入っていたのはこの広い世界のどこかにいるであろう人間の個人情報が書かれた紙であった。 最初に目に入ってきたのは、用紙の左上に描かれた褐色肌の男の似顔絵であり、顔立ちからして四~五十代のゲルマニア人であろうか? 似顔絵の下には詳しい個人情報が記載されており、その一番上の行には彼の名前であろう『オトカル』という人名が書かれていた。 個人情報もかなり詳細に書かれており、彼が元ゲルマニア陸軍の軍事教官で現在は早めの余生を過ごす為ドーヴィルで暮らしている様だ。 それと同じような似顔絵と個人情報でびっしり覆われた紙が最初の彼を合わせて、十二枚も封筒の中に入っていたのである。 アンリエッタは十秒ほど書類を見た後に次の一枚を捲り、もう十秒経てば捲り… それを繰り返して局長の持ってきた書類を確認していると、それを持ってきた本人が口を開いた。 「殿下も知ってはおられますが我が部署では貴族、平民の身分は必要ありませぬ。唯一求めているのはいかに゙有能゙か?それだけです。 最初の一枚目の元教官は平民ですが、現在もゲルマニア南部の紛争地帯で活躍している幾つかの精鋭部隊を育て上げた有能な教官であります。 そして今姫様が確認している女性貴族は元『アカデミー』の職員で、方針に反する『魔法を用いた対人兵器』を自作したとしてクビになり、現在は王都の一角にある玩具屋で働いてます」 局長の説明を聞きつつもアンリエッタは書類と睨めっこし、マザリーニも「失礼」と言ってその中から一枚を抜き出して読み始める。 確かに彼の言うとおり、この書類に名前が載っている人間の経歴は貴族や平民といった枠組みを超えていた。 現在服役中である開錠の名人に思想的にはみ出し者となっているが総合的に優秀な成績を持つ魔法衛士隊の隊員に、平民にして貴族顔負けの薬学知識を持っている女性。 一体どこをどう探せばこれだけのイロモノを集められるのかと聞きたくなるほど、多種多様な特技を持つ変わり者たちがピックアップされていた。 今現在国内にいる無名の人材たちを眺めつつ、アンリエッタは思わず感心の言葉を口に出してしまう。 「それにしても良くこれだけ探せましたね。特に条件付けはしていませんでしたから、ある程度幅が広がったのもあるでしょうが…」 「情報を探る事は我々の十八番ですので。この時の事を想定して常に一癖も二癖もある人物にはマークをしておりましたので」 成程、どうやら自分から許しを得る前にある程度人材探しをしていたのか、随分と用意周到な人だ。 並の宮廷貴族より準備万端な局長に感心しつつ、アンリエッタは一旦書類から顔を上げて満足気のある表情で頷いた。 「分かりました。貴方の部署はこれまで日陰者でしたし、ここまで調べてくれていたのなら私から言う事はありません」 「では人材確保はこのまま進める方針で?」 「えぇ、お願いします。ただ、軍に属している者については少し上層部の将軍方とお話する必要はありますが」 王女から直々の許しを得た局長ホッと安堵した後に、慌てて頭を下げると彼女に礼を述べた。 アンリエッタはそれに笑顔で返してから、一足遅れて書類を見ているマザリーニはどうなのかと促してみる。 老いかけている枢機卿も先ほどの彼女と同じく書類から一旦視線を外し、それから局長を見てコクリと頷いて見せた。 それを肯定と受け取ったのか、局長は枢機卿にも礼を述べるとすぐさまこれからの方針を話していく。 「それでは軍属の者以外に関しては我々からアプローチをかけます故、軍部との説得は何卒朗報を期待いたします」 「分かりました。今の将軍方なら、今回の増員計画にも賛成してくれる事でしょう………って、あら?」 アンリエッタもアンリエッタ局長とそんな約束を交えた後再び書類へと目を戻し、ラスト一枚の人物が女性である事に気が付いた。 まるで収穫期の麦の様に金色に輝く髪をボブカットで纏め、鋭い目つきでこちらを睨んでいるかのような似顔絵が印象的である。 経歴からして平民であるのはすぐに分かるが、王都にあるいちパン屋の粉ひき担当から王都衛士隊の隊員という経歴は変に独特であった。 しかし衛士になってからの業績は中々であり、女だというのにも関わらず衛士としては非常に優秀という評価が書かれている。 他の九人と比べればやや地味ではあるが、その経歴故に気になったのかアンリエッタは局長に彼女の事を聞いてみる事にした。 「あの局長殿?彼女は…」 「ん?あぁこの人ですか。実は彼女は私が見つけましてな、彼女には是非とも我々の元で『武装要員』」として働いて貰いたい思ってましてな…確か愛称は、ラ・ミランと言いましたかな?」 「ラ・ミラン(粉挽き女の意)…?」 愛称と言うよりも蔑称に近いその呼び名を思わずアンリエッタが復唱すると、局長はコクリ頷きながら言葉をつづけた。 「ラ・ミランのアニエス。王都の平民や下級貴族達の間では下手な男性衛士よりも怖れられております」 ――――貴女、少し長めの旅行をしてみる気はないかしら? あの八雲紫が夜遅く帰ってきた魔理沙の元に現れるなり、そんな事を聞いてきたのは午前一時を回った頃だろうか。 何の前触れも無く人様の家の中、しかもベッドの上に腰かけていたのである。まぁ何の前触れも無く人の目の前に現れるのはいつもの事だが。 パジャマに着替えて、歯も磨き終えて髪も梳き、眠たくなるまで読もうと思っていた本を片手にした彼女は最初何て言おうか迷ってしまった。 何せこれから入ろうとしたベッドを事実上占拠されてしまったのだ、旅行とは何か?と質問すれば良いのか、それとも抗議すれば良いのか良く分からず、結局のところ… 「人がこれから寝ようって時に、何やら面白そうな話題を持ちかけてくるのは反則じゃないか?」 「あら失礼、今からの時間帯は私たちの時間帯だって事を忘れてないかしら」 そんなありきたりな会話を皮切りにすることしかできず、しかし彼女が持ちかけてきた話をスムーズに聞く事が出来た。 結果的にそれが功をなしたのか、晴れて霧雨魔理沙は霊夢と共にルイズのいるハルケギニアへと赴く事となったのである。 朝のブルドンネ街は、昨晩の華やかさがまるで一時の夢だったかのように静まっていた。 夕暮れと共に開き、夜明けと共に終わる店が多い故に今の時間帯のブルドンネ街と比べれば一目瞭然の差があった。 それでも人の活気は多少なりとあり、繁華街に店を持つ雑貨屋やパン屋などはいつも通り商売をしている。 通りの一角にあるアパルトメントの入り口では大家が玄関に水を撒き、たまたま通りかかった野良猫がそれを浴びて悲鳴を上げる。 そこから少し離れた広場では主婦たちが朝一番の世間話に花を咲かせ、その後ろを小麦粉を満載した荷馬車が音を立てて通っていく。 もしもこの国へ始めて来た観光客が見れば、この街が夜中どんなに騒がしくなるかなんて事、想像もつかないに違いないだろう。 そんな極々ありふれたハルケギニアの街並みを見せる日中のブルドンネ街の一角にある店、『魅惑の妖精』亭。 夜間営業の居酒屋であり、他の店と比べて可愛い女の子達が多い事で有名な名店も、今はひっそりとしている。 ここだけではない。この一帯にある店は殆どがそうであり、まるで時間が止まったかのように活気というものがない。 店で働く人々は皆家に帰ったか、もしくは店内にある部屋で軽い朝食を済ませてベッドで寝ている時間帯だ。 『魅惑の妖精』亭もまた例に漏れず、住み込みの店員達は皆今夜の仕事に備えてグッスリと眠っている。 その店の屋根裏部屋…長い事使っていなかったそこに置かれたベッドの上で、霧雨魔理沙は目を覚ました所であった。 「………九時四十五分。てっきり一、二時間ぐらい経ってるかと思ったが、あんがい寝れないもんなんだな」 黒いトンガリ帽子をコートラック掛けている意外、いつもの服装をしている彼女は持っていた懐中時計を見ながら呟く。 ルイズと霊夢の三人で朝食を済まし、そのすぐ後に用事があると言って出て行った二人と見送ってから丁度四十五分。 特にする事が無かったのでベッド横になっていたら自然と眠っていたようで、今二度寝から目覚めたばかりなのである。 しかし寝起き故にハッキリしない頭と妙に重たい瞼の所為で、ベッドから出たいという欲求が今一つ湧いてこない。 いっその事このまま三度寝を敢行しようかとも思ったが、流石にそれは怠け過ぎだろうと自分に突っ込んでしまう。 (流石に三度寝となるとだらけ過ぎになるし、寝ている最中にどちらかが帰ってきたら何言われるか分からんしな) そういうワケで魔理沙は一旦軽く体の力を抜いて一息つくと、勢いをつけて上半身を起こした。 「ふぅ…ふわぁ~…」 ウェーブとはまた違う寝癖が一つ二つ出ている髪を弄りながら、彼女は口を大きくあけて欠伸をする。 次いでゴシゴシの目を擦るとベッドから降りて、朝の陽光が差す窓を開けてそこから通りを見下ろした。 霊夢が綺麗にしてくれた窓際に右肘を置いて顔だけを窓から出すようにして、外の空気を口の中に入れていく。 横になっていた時と比べて瞼は随分と軽くなった気はするが、頭の方はまだまだ重いという物を感じを否めない。 「うぅ~ん、まぁ一時間もすりゃ直ってるだろうし…なぁデルフ、って…あいつは霊夢が持っていっちゃったか」 二度寝から目覚めたついでにデルフと下らない世間話をしようかと思った所で、今はここにはない事を思い出す。 ただ一人取り残された普通の魔法使いはため息をつくと、顔を上げて王都の青空を仰ぎ見て呟いた。 「あれから二日経ったが…街が広いせいかあんな事があったっていうのに平和なもんだぜ」 澄んだ青空に白い雲、その下にある平和な街並みを交互に見比べながら、彼女は思い出す。 二日前にこの街最大の劇場で起きた、異様かつ奇怪な殺人事件が起こったという事を。 …二日前、ここ王都最大の劇場タニアリージュ・ロワイヤル座でその事件は起こった。 男性の下級貴族が一人、劇場内で奇怪的な惨殺死体となって発見されたのである。 被害者は無残にも手足をもがれ、更に夏だというのにも関わらず全身をほぼ氷で覆われているという状態で。 当然警備員たちが発見したその直後に劇場は緊急封鎖、公演予定だった劇は全て中止となってしまった。 最初こそ責任者と駆けつけた衛士隊の指示で全員が外に出れなかったが、一部の貴族が開放を強請してきた為に止むを得ず開放。 結果的に残ったのは、第一発見者とその関係者だけであった。 そしてその第一発見者こそが博麗霊夢であり、関係者は魔理沙とルイズ達である。 一昨日の騒動を振り返りつつ、その時がいかに大変だったのか思い出した魔理沙は溜め息をついてしまう。 「全く、もう二度と無いかと思ってたが…まさか一度ならず二度までも取り調べを受けるなんて…」 現場検証が終わり、被害者の遺体を最寄りの詰所に搬送した後霊夢達一同は当然の様に取り調べを受けるハメになってしまった。 ルイズやその姉であるというカトレアという名の女性は普通に聞き込みだけで済んだが、全員が衛士達の思うように進むワケがない。 魔理沙は先に取り調べのキツさを知っていたので、答えられる事に関しては素直に答えてスムーズに事を済ませることができた。 折角の休日を台無しにしてしまったシエスタは常に半泣き状態だったらしく、逆に心配されたというのは後で聞いた。 カトレアと一緒にいたニナという女の子の取り調べはしても意味が無いと衛士は判断したのか、別の部屋で迷子担当の女性衛士と一緒にいたらしい。 そして魔理沙自身も気になっていたあの霊夢と何処か似ている巫女服の女も、答えられる分の質問にはあっさり答えてすぐに終わった様である。 しかしその一方で霊夢は強面の衛士達に囲まれても尚我を失わず、強気な態度でもって彼らと論争したのだという。 一緒にいたデルフ曰く、最初こそ大人しくしてたらしいのだが、取り調べ担当者の威圧的な態度が気に入らなかったらしい。 まぁ霊夢らしいといえば霊夢らしい。お蔭で一時間で終わる筈だった取り調べは三時間近くまで延長される事になってしまった。 結果的にその日は二十二時辺りに解放され、カトレア一行とはその場で別れる事となった。 ルイズはカトレアから今現在の所在地を聞き、ついで姉もまた妹に所在地を聞いて目を丸くしていたのは今でも覚えている。 「…珍しいわねルイズ?貴女がそんな所に泊まっているだなんて」 「え?えーと、まぁその…これには色々とワケがありまして…」 「ふふ、別に怪しがってるワケじゃないのよ。若いうちは色んな場所へ行っておけば良いと思っただけ」 そんなやり取りをした後で劇場前の詰所で解散、ルイズ一行は絶賛営業中だった『魅惑の妖精』亭へと帰ってこれる事が出来た。 店の方でも今日起こった事件の事が話題になっていたのか、帰って来るなり店長のスカロンと娘のジェシカが詰め寄ってきたのである。 ジェシカはともかくスカロンは奇怪な叫び声を上げて自分たちを抱擁しようとしてきたので、入って早々慌てて避ける羽目になってしまった。 ルイズはおろかシエスタまで一緒になって避けた後で、「あぁん、酷い!」と嘆きつつも彼は無事に帰ってきてくれた事を喜んでくれた。 「もぉお~心配したのよ貴方たちィ!…でも、その様子だと取調べだけで済んだ様でミ・マドモワゼルも安心したわぁ~!」 「結構大事だったらしいけれど…、まぁアンタ達ならシエスタも含めて無事だろうとは思ってたよ」 スカロンのオーバーすぎる喜びの舞いと、それに対して落ち着きを見せているジェシカを見て本当に親子かどうか疑ってしまう。 何はともあれ無事に帰ってきたその日は夕食を摂る元気も無く、四人とも死んだように眠るほかなかった。 …それから二日が経った今日、朝のブルドンネ街はいつも通りの静けさを取り戻している。 「何もかもいつも通りならそれはそれで良いんだろうが、霊夢はともかくルイズはどうなんだろうなぁ~…」 頭上の空から眼下道路へと視線を変えた魔理沙は、朝早くから外出しているルイズの事が気になってしまう。 昨日はあんな事件があったという事で凹んでいたのか、一日外に出ず屋根裏部屋で考え事をしながら過ごしていたのを思い出す。 流石に死体を間近で見てしまったという事もあって食欲も無かったが、それは仕方ない事だろう。 仕事柄そういうのを見慣れている霊夢はともかくとして、あれだけ損壊した死体を見たのだ。 むしろそれを見た翌日からガツガツと平気な顔して飯食ってる姿を見たら、逆に心配してしまうものである。 しかし今日の朝食に限っては、少し無理をしてでも口の中に食べ物を突っ込んでいたような気がしていた。 ジェシカが用意してくれていたサンドウィッチを一口食べてはミルクで半ば飲み込むようなルイズの姿は記憶に新しい。 今朝見たばかりの出来事を思い出した魔理沙は、ふと彼女が何処へ行くために外出したのか何となく分かってしまった。 「もしかしてアイツ、一昨日教えてもらったお姉さんのいる所へ行ったのかねぇ?」 劇場で出会ったルイズの姉カトレア。ウェーブの掛かった桃色の髪以外は、ルイズとは正反対の姿をしていた女性。 衛士隊の詰所で別れる直前に互いの居場所を教え合っていた事を、魔理沙は思い出す。 魔理沙と霊夢はその場所について聞き覚えは無かったものの、どうやらルイズはその場所を知っているらしい。 姉からその場所を聞いたルイズは、納得と安堵の表情を浮かべていたのである。 それが何処にあるのか魔理沙には皆目見当がつかなかったものの、恐らくはこの王都内にいる事は間違いないだろう。 でなければ学院のマントをバッグに詰めた以外、軽い服装で街の外なんかに出るワケはないのだから。 一体何の用があってそこへ赴くのかは良く知らないが、きっと久方ぶりの姉妹二人きりの時間としゃれ込みたいのだろう。 今の自分には全く無縁なそれを想像してしまい、それを取り払うかのように慌てて首を横に振る。 「はぁ…全く、縋れるお姉さんがいるヤツってのは羨ましいねぇ。………って、お姉さん?あれ?」 自分の口から出た『お姉さん』という単語を耳にして、魔理沙はふと思い出した。 カトレアとは別に出会ったことのある、ルイズのもう一人の姉―――エレオノールの事を。 ルイズよりもややキツイ釣り目と、彼女以上の平らな胸と顔を除けばカトレア以上に似てない箇所が多かったルイズのもう一人の姉。 王宮でルイズの頬を抓っていた光景を思い出した魔理沙はカトレア比較してしまい、思わずその顔に苦笑いを浮かべてしまう。 「あぁ~…何というか、アレだな。ルイズのヤツって優しい姉と厳しい姉の両方がいて色々と恵まれてるんだなぁ~…」 改めて自分とは全く正反対なルイズの家庭環境に、普通の魔法使いは何ともいえない表情を浮かべてしまう。 これまで聞いた話から察するに両親は健康だろうし、飴と鞭の役割を担ってくれるお姉さんたちもいる。 家がお金持ちというのは共通しているのだろうが、正直魔理沙本人としてはそれはあまり口にしたくない事であった。 実家の事を思い出しそうになった魔理沙はハッとした表情を浮かべると、急に自分の頬を軽く叩いたのである。 パン!と気味の音を立てて気合を入れなおした彼女は、考えていた事を忘れる様にもう一度首を横に振る。 「あぁヤメだヤメ!家の事を思い出してたらあのクソ親父の事まで思い出すからもうヤメヤメ!」 自分に言い聞かせるかのように叫びつつ、二度三度と頬を軽く叩き、何とか忘れようとする。 その叫び声に気づいてか通りを歩く人々の何人かが顔を上げて、一人頬を叩く魔理沙を見て怪訝な表情を浮かべて通り過ぎていく。 その後、魔理沙が落ち着けるようになったのは数分が経ってからであった。 やや赤くなった頬を摩りつつ、ベッドに腰を下ろした彼女は溜め息をついて項垂れていた。 「はぁ…何だかんだで私も相当疲れてるっぽいな。…ルイズはともかく、霊夢があんなにいつも通りだっていうのに」 まだまだ一日はこれからだというのに疲れた気がして仕方がない彼女は、ふとここにはいないもう一人の知り合いの事を思う。 多少落ち込んでいた所を見せていたルイズ違い、流石妖怪退治を専業とする博麗の巫女と言うべきだろうか。 彼女や自分よりも被害者を間近で見ていたにも関わらず、昨日は朝から夜までずっと外で飛び回っていたというのだ。 恐らく被害者を無残な目に遭わせたヤツの正体を何となく察したのであろう、そうでなければ彼女がここまで積極的になるワケがない。 しかも大抵は部屋に置きっぱなしで合ったデルフも持って行っている辺り、結構本腰を入れて探しているのだろう。 魔理沙自身も、被害者の損壊具合を聞いて相手は人間ではないのだろうと何となく考えてはいた。 こういう時は彼女に負けず劣らず自分も探しにいくべきなのだろうが、生憎な事に肝心の『アテ』がここにはない。 幻想郷ならばある程度土地勘も聞くので何かが起こった時には何処を捜すべきか何となくわかるものの、ここはハルケギニアだ。 まだ王都の広さになれない魔理沙にとっては、何処をどう探していいか分からないのである。 霊夢ならばそこらへん、持ち前の勘の良さと先天的才能でどうにもなるのだろうが、自分はそこまで勘が良くないという事は知っている。 無論、並みの人よかあるとは思うのだが…霊夢のソレと比べれば文字通り月とスッポン並みの格差があるのだ。 「…まぁ、そういう考えはアイツからしてみれば単なる言い訳に聞こえるんだろうなぁ~」 そう言いながら魔理沙は窓から離れ、そのまま階段を使って一階にある手洗い場へと下りていく。 このまま屋根裏部屋に居ても、仕方がないと思ったが故に。 少しして用を済まし、手洗い場から出てきた彼女はハンカチで手を拭きながら備え付けの鏡で髪型を整えていく。 「全く気楽なモンだよ。ま、それを含めて全部博麗霊夢の強みの一つってヤツなんだがね」 目立っていた寝癖を手早く直すと再び屋根裏部屋へと戻り、新しい服を用意してソレに着替えて始める。 それを手早く終えるとそこら辺の木箱の上に置いていた帽子とミニ八卦炉を手に取り帽子の中に仕舞う。 ミニ八卦炉を中に収めたトンガリ帽子は妙に重みが増すものの、それを被る本人にとっては既に慣れた重さであった。 「今の所アイツが何を捜してるのかまでは、良く知らんが…知らんから私も無性に気になってくるぜ」 そして壁に立てかけていた箒を手に取ると、先ほどまで寝起き姿であった魔理沙がしっかりとした身だしなみをして佇んでいた。 「まぁ特にすることは無いが…無いからこそいつも通りアイツの後を追ったってバチは当たらんだろうさ」 最後に持ち運んでいた鞄の中から幾つか『魔法』入りの小瓶を取り出しポケットに詰め込んでから、再び一階へ戻っていく。 「鬼が出るか蛇が出るか?…いや、この世界なら竜も出たっておかしくはないぜ」 先ほどまで沈みかけていた自分の気持ちを、水底から引き上げる様な独り言を呟きながら。 軽快な足取りで静かな一階へ辿り着いた彼女は、ふと厨房の方にある裏口を通ってみようかなと思った。 いつも出入りに使っている表の羽根扉は目の前にあり、そのまま五、六歩進めば通りに出られるというのにも関わらず。 所謂というモノなのだろう。それとも今日だけは普段と違う場所から店の外に出たいと考えたのだろうか。 「…まぁこの店の裏手には入った事ないからな、一目見ておくのも一興ってヤツかな」 自分を納得させるかのように呟きながら羽根扉の方へと背を向けて、彼女は厨房の方へ入っていく。 綺麗に掃除されたタイル張りの床を歩き、フックに掛けられた調理器具などを避けつつ裏口へ向かって進む。 やがて二分と経たない内に厨房は終わり、魔理沙は店の裏側へと入った。 どうやら裏口だけではなく、ちょっとした物を置くための廊下も作ってあるらしい。 表の二階と比べてやや埃っぽさが残る廊下の左右を見渡してみると、左の方に外へと続くドアがある。 「…ふーん、成程。食材とかは全部あそこの裏側から運び入れてるってコトかねぇ?」 そんな事を一人呟きながら少し広めの廊下を進み、裏口の前でピタリと足を止めた。 丁度扉の真ん中にはガラス窓が嵌め込まれており、そこから店の裏にある路地裏を覗き見る事が出来る。 やや大きめに造られている道からして、やはりここからその日の食材を搬入しているのだろう。 道の端で丸くなっている野良猫以外特に目立つモノが無いのを確認してから、彼女は普通のドアを開けた。 途端、朝早くだというのにすっかり熱せられた外の空気が入り込み、廊下の中へと入り込んでくる。 一瞬出るかどうか躊躇ったものの、すぐにそんな考えを頭の中から追い出して彼女は外へと出ようとした。 今も尚微かに残る頭の中のもやもやを忘れようと、いざ王都の真っただ中へと踏み込もうとした彼女は、 「キャッ…!」 「うぉッ!?…っと、ととッ」 ドアを開けた途端、突如横から走ってきた何者かと接触してしまい、最初の一歩が台無しになってしまった。 走ってきた何者かは小さな悲鳴をあげて後ろに倒れ、魔理沙は手に持っていたドアノブのお蔭で倒れずに済んだ。 それでも崩してしまった態勢を直しきれずそのまま地面にへたり込むと、一体何なのかとぶつかってきた者へと視線を向ける。 夏真っ盛りだというのに頭から鼠色のフードを被っており、先程の悲鳴からして女性だというのは間違いないだろう。 しかし顔までは分からないので、もしかすれば少女の美声を持った少年…という可能性もあるにはあるだろう。 「イッテテテ…どこの誰かは知らんが、走る時ぐらいはしっかり前を見てもらわないと困るぜ」 苦言を漏らしながら立ち上がった魔理沙はローブ姿の何者の元へと近づき、そっと手を差し伸べる。 「す、すいません…急いでいたモノで………あっ」 「お………え?」 自分からぶつかってしまったのにも関わらず親切な魔理沙に礼を言おうと顔を上げた瞬間、頭に被っていたフードがずり落ち、素顔が露わになる。 手を差し伸べられるほど近くにいた魔理沙はその下にあった素顔を見て、思わず目を丸くしてしまう。 ルイズだけではないが、まさかこんな場所で再開するとは思っていなかった魔理沙は思わずその者の名を口に出してしまう。 「アンタもしかして…っていうか、もしかしなくても…アンリエッタのお姫様?」 「……お久しぶりですね、マリサさん」 魔理沙からの呼びかけにその何者―――アンリエッタはコクリと頷きながら魔理沙の名を呼び返す。 しかしその表情は緊張と不安に満ちていた。これから起こる事が決して良い事ではないと、普通の魔法使いに教えるかのように。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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No.227 / まかいの 人形 Eルイズ 基本データ 説明 まかいでは ごく ふつうのいっぱんじん らしいがそこそこの のうりょくをもっている。 タイプ ノーマル 特性 めんえき タマゴグループ ひとがたりくじょう 種族値 HP 攻撃 防御 特攻 特防 素早さ 合計 90 80 80 80 90 70 490 獲得努力値 HP 攻撃 防御 特攻 特防 素早さ 0 0 0 0 3 0 分布 場所 階層 Lv 備考 なし その他の入手方法 なし 進化系統 ちびルイズ ┗Lv20でルイズ ┗Lv38でEルイズ 育成例 レベルアップ技 Lv 技名 001 はたく 007 まるくなる 011 たまなげ 015 かげぶんしん 019 うたう 024 アンコール 029 バリアー 034 たたきつける 041 ピヨピヨパンチ 048 おだてる 055 ミラーコート 062 がむしゃら 技・秘伝マシン技 No 技マシン名 06 どくどく 07 あられ 09 めいそう 10 よめしゅぎょう 11 にほんばれ 12 ちょうはつ 15 LUNATIC 16 ひかりのかべ 17 まもる 20 しんぴのまもり 27 おんがえし 32 かげぶんしん 33 リフレクタ- 37 すなあらし 39 がんせきふうじ 42 からげんき 44 ねむる 45 あさのひざし 49 よこどり No 秘伝マシン名 なし 人から教えてもらえる技 場所 技名 未実装
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「…ルイズ」 アンリエッタが謁見の間で呟いたルイズの名は、誰にも聞かれることなく、虚空に消えていく。 玉座に座り、目を閉じて心を落ち着かせる……そんなアンリエッタを見たマザリーニは、いつになくアンリエッタが緊張しているのを見抜いていた。 百人以上入れそうな謁見の間は、見事に磨かれた石の床に、真っ赤な絨毯が敷かれている。 マザリーニはこれから来るであろう、ある人物の姿を絨毯の上に幻視した。 先代の陛下に跪き、陛下から直々にお言葉を賜っていたある人物は、トリステインの貴族達の間で知らぬ者は居ないと言われるほど誉れの高いメイジだった。 烈風カリンと呼ばれたその人物が、実はルイズの母カリーヌ・デジレだったと知られたのは、皮肉にもルイズの死を聞いたその日であった。 土くれのフーケを追って、フーケ共々魔法の失敗により爆死したと聞き、カリーヌ・デジレは唯一の目撃者ロングビルを直々に尋問したのだ。 カリーヌ・デジレは自身が隊長を務めていたマンティコア隊から、水系統に優れたメイジを一人借り受けて、魔法学院に赴いたらしい。 公式な記録には残されていないが、水系統のメイジを使って、ロングビルに洗いざらい吐かせたであろうことは想像に難くない。 誰よりも規律を重んじていた英雄が、規律を破ってまで娘の死の真実を知ろうとしたのだ。 その事実はオールド・オスマンからアンリエッタの耳にだけ届けられるよう、マザリーニが手を回した。 マザリーニは、その他の貴族に情報が漏れぬよう徹底させた。特にオールド・オスマンは烈風カリンがカリーヌ・デジレであるという噂を拡散させぬよう、ヴァリエール家の権力をちらつかせて『説得』したおかげで、魔法学院の外にその情報が漏れることは無かった。 噂の火消しに勤めたマザリーニだからこそ、ラグドリアン湖近くの国境警備隊から届けられた一通の手紙に驚いた。 この手紙を王宮に届けるよう指図したのは、カリーヌ・デジレだとしたら問題がある、いくらヴァリエール家が大貴族だとしても、国家の直轄である国境警備隊の竜騎兵を私用で使うなどあってはならない。 しかし、手紙にはマンティコア隊の紋章と、ヴァリエール家の家紋の両方が並び描かれていた、これは暗に『烈風カリン』からの手紙であると言っているようなもので、すぐさま手紙はアンリエッタの下に届けられた。 手紙の内容は、『水の精霊とルイズに関する重大な話をしたい』…という至極簡単なものだったが、アンリエッタとマザリーニの背筋を寒くさせるには十分なものだった。 「カリーヌ・デジレ様がお見えになりました」 魔法衛士がマザリーニの脇にそっと近づき、耳打ちする。 「急ぎ陛下の御前に」 「はっ」 マザリーニは答えると、魔法衛士はすぐに踵を返し、音もなく謁見の間を出て行った。 玉座から少し離れた位置で、マザリーニがアンリエッタの表情を伺うと、アンリエッタはこくりと頷いてまっすぐ扉を見据えた。 ほんの数秒にも、十分にも感じられる奇妙な緊張感の中、謁見の間の扉が静かに開かれた。 「……………」 アンリエッタの影武者がルイズだと知る二人、アンリエッタとマザリーニが謁見の間にいる頃、ルイズは鏡の前に立ち、自分の顔つきを入念に調べていた。 ほお骨やアゴの形を調整し、髪の毛を切って髪型を変え、アンリエッタと瓜二つの顔をしているが、どうしてもウェールズには気付かれてしまう。 体型の調節も完璧だ、スリーサイズだってアンリエッタと同じになっている、姉と同じで劣等感を感じていた胸の大きさも、今は自由に変えられる。 それなのに、ウェールズには気付かれてしまう。 なぜルイズとアンリエッタの区別が付くのか、そう質問してもウェールズは「何となく、かな」と、はにかみながら答えるばかりだった。 ルイズは「愛の力かしら?」と言ってからかうのだが、二人はそれを真に受けて、頬を赤く染めてしまう。 ツェルプストーとは違って、とても初々しい二人に、ルイズはほんの少しの嫉妬と、大きな癒しを感じていた。 ルイズは鏡に映るアンリエッタを見る、どこからどう見てもアンリエッタの姿、これがルイズだと解る人間は居ないはずだ。 例外があるとすれば水系統のメイジだろう、ルイズの身体を流れる『水』の流れはルイズだけのものだ。 ヴァリエール家の主治医が今のルイズを調べたら、その正体がルイズであると気付かれてしまうだろう。 だが、ウェールズは『風』『風』『風』のトライアングルだ、ルイズを一目で見破るほど水系統の力に優れているとは思えない。 冗談で言った「愛の力」だが、今のルイズにとって、それは冗談でも何でもない。 カリーヌ・デジレが火急の用で謁見を望んでいると聞いた時から、ルイズは母に見破られるのを恐れ、アンリエッタの居室に引きこもっていたのだ。 鏡の前で全裸になって、顔も、体つきも、髪の毛も、アンダーヘアも、すべてアンリエッタと同じ形になっているのを確かめていく。 それでもルイズは不安だった。 (お母様に会いたい…) (…でも、会ってどうするの?) (もう会わないと決めたのに、死を偽装してまで決別したのに、今更どうやって会おうと言うの?) (お姉様にも、お父様にも会いたい) (虚無の使い手だと言えば、それをアンが保証してくれれば、私は胸を張ってみんなに会いに行ける) (学院の皆を見返してやることもできる) (みんなが私を認めてくれる) (……吸血鬼で、なければ) 謁見の間では、アンリエッタを始め警護の任についている数名の魔法衛士までもが驚きに目を見開いていた。 カリーヌ・デジレがアンリエッタ女王陛下に献上したいと言って持ち込んできたのは、子供がすっぽりと収まるほどの革袋だった。 中には何か液体らしきものが入っているのか、重そうに揺れている。 それを運んできたのは、ついこの間シュヴァリエを賜った、シエスタとモンモランシーの二人。 革袋より一回り大きい水桶を用意させると、シエスタが水桶の上に革袋を乗せて、ゆっくりと革袋の口を開いていった。 「水の精霊から渡された、水の秘薬にございます」 カリーヌ・デジレの言葉に驚き、謁見の間は奇妙な沈黙に包まれた。 一番最初に気を取り直したのはマザリーニだった、背後に立つ魔法衛士に「…検査を」と一言呟くと、魔法衛士は水の秘薬に近づいてディティクト・マジックを唱えるなどして、本物であるかどうかを調査し始めた。 そして指先で直接水の秘薬に触れると、驚きのあまり手を震えさせて、後ずさった。 「確かに、確かにこれは水の秘薬でございます」 さすがの魔法衛士も驚きを隠しきれず、語尾が震えていた。 「このような大量の水の秘薬、目の当たりにしたことなどありませんわ、いえ、これからも目の当たりにすることができるか解りませんわ。いったいどうしてこのような量の秘薬を? 」 アンリエッタがそう質問すると、カリーヌは跪いたまま、静かに、しかしはっきりと聞こえることで呟いた。 「ルイズの姉に当たります、ヴァリエール家次女のカトレア、その病状改善のためにどうしても水の秘薬が必要だったのです」 「しかし、あの時はタルブ戦のすぐ後でしたわね…確か水の精霊を怒らせた者が居ると聞いて、ラグドリアン湖には不用意に近づかぬようおふれを出した覚えがありますが」 「はい、来るべき戦に備え、無用の混乱を避けようとする陛下のご深慮を、私はこの身勝手で蔑ろにしたも同然です。一縷の望みで、後ろに控える両名をラグドリアン湖まで連れて行ったのです」 「ミス・モンモランシーとミス・シエスタですね。顔をお上げなさい」 二人はおそるおそる顔を上げ、アンリエッタの顔を見た、その表情には怒りは見えなかったが、女王陛下という肩書きに、シエスタは無視できない畏怖を感じていた。 ぽつりと、マザリーニが呟く。 「あなた方は、ラグドリアン湖に近づくことで、水の精霊を刺激するとは思いませんでしたか」 「「…!」」 予想していた言葉だが、マザリーニの言葉には予想外の重みがあった、マザリーニの口調は静かなものだったが、そこに含まれる冷徹さが二人を貫いた。 「それについては私からの発言をお許し下さい」 「申しなさい。……面を上げて結構ですよ、カリーヌ・デジレ」 アンリエッタが発言を許すと、カリーヌは顔を上げ、まっすぐにアンリエッタを見据えた。 鋭い眼光を予想していたアンリエッタは、カリーヌの瞳からまるで慈しむような雰囲気を感じ、心の中で驚きの声を上げた。 カリーヌの瞳は、ゲルマニアに嫁ごうとする自分を案じてくれる、太后マリアンヌの瞳にそっくりだったのだ。 「カトレアの治癒に必要な水の秘薬を得るため、ミス・モンモランシーとミス・シエスタを連れて、独断でラグドリアン湖に赴きました私の、不徳の致すところでございます。 二人の協力の元、水の精霊はミス・モンモランシーと改めて盟約を結ぶことはできましたが、一歩間違えれば私は水の精霊とトリステインの間に修復不可能な亀裂を産むことになったでしょう」 「ミス・モンモランシー、新たに盟約を結んだとは…それは本当ですか?」 「はい」 「ならばそのときのことをお聞かせ願えるかしら」 「は、はい、光栄の至りですわ」 モンモランシーは緊張のあまり、声が少し上ずってしまった。 何とか緊張に耐えて、ラグドリアン湖で起こった出来事を話しだした…だが、タバサとキュルケの名前は口にはしなかった。 あくまでもモンモランシーの血と、シエスタの波紋の力で、水の精霊が自分たちを信用してくれたのだと話したのだ。 「なるほど…そのようなことがありましたのね。ではカリーヌ…いえ、トリステインの誉れたる『烈風カリン』に全幅の信頼を置き、この件は不問と致します。このように大量の水の秘薬、並びにトリステインとの信頼改善、よくぞやってくれました」 「勿体なきお言葉です」 「ミス・モンモランシー。ミス・シエスタ。お二人もまた大儀です。しばらく別室で休憩を取らせましょう…よろしいですね?」 「「はい」」 二人は、緊張のせいか、勢いよく返事をした。 王宮内、マザリーニの執務室。 ぎゅうぎゅうに押し込めば、大人が五十人は入れるであろうこの部屋に、今は四人の人間しかいない。 一人はこの部屋の主マザリーニ、もう一人は烈風カリン、そしてもう一人はアンリエッタ、最後にアンリエッタの警護を務めるアニエスであった。 アンリエッタはソファに座り、マザリーニはその斜め後ろに立っている、アニエスは扉の側で剣に手をかけてじっと黙っていた。 テーブルには紅茶も何も置かれていない、強いて言えば、対面に座るカリーヌ・デジレの姿が重厚な茶褐色のテーブルに映っているぐらいだろうか。 「…先ほどは話せなかったこと、ここでなら存分に語り合えますわ。あの手紙に書かれていたルイズに関することとは、いったい何なのですか?」 アンリエッタがそう口を開くと、カリーヌは静かに、しかし鋭い眼光でアンリエッタを見据えた。 「私の娘、ルイズが、生きているかもしれません」 「……ルイズが、生きている?」 アンリエッタは呆然とした様子を隠すことなく、呟いた。 「確証があった訳ではありません、ですが、許されるならばラグドリアン湖方面に捜索隊を派遣するつもりでした」 冷静なカリーヌの言葉に引き戻されたのか、アンリエッタは少し深く息を吸って、呼吸を整えた。 そもそもの始まりは、ラグドリアン湖に近いある貴族の別邸に、カリーヌが赴いたことにある。 ヴァリエール家とはとても比べられない小さな貴族だが、ラグドリアン湖近くに領地を構えるだけあって、この地に赴く水系統のメイジと積極的な交流をしている。 カトレアの治癒のため、その人脈から何人かのメイジを斡旋して貰ったこともあるのだ。 そのおかげでカトレアは今まで生きながらえてきた、カリーヌはその恩返しのため、時々その貴族が保有する騎士団に手ほどきをしていた。 タルブ戦が終わって間もない頃、ヴァリエール家は戦争に参加しないと決めていたので、いつものように騎士団に手ほどきをしていた。 帰り道、ガリアとの国境近くにある森林で、大きな火事が起こっていると聞いたカリーヌは、騎士団を引き連れて火事を鎮火する見本を見せようとしていた。 それはルイズ達がミノタウロスと戦った時に起こした火事であった。 カリーヌは『風』『風』『風』『風』のスクェアとしても規格外なその力で、火事の起こっている森林に巨大な渦巻き状の風を作り出した。 それはまるで、ろうそくの火を消すかのように、一瞬で燃えさかる木々を薙ぎ倒して炎を吹き消した。 呆気にとられる騎士団に指示を飛ばし、生存者の有無と原因の究明を徹底させる、これでカリーヌの仕事は終わるはずだった。 だが、カリーヌが従者として連れてきたメイジが、煤だらけになった男から、驚くべき証言を聞き出してしまった。 火事は、怪我を負い正気を失ったミノタウロスが、二人のメイジと戦った事で起こったと言う。 その上そのメイジは、ピンク色の頭髪を持ち、顔に大きな火傷のある女性で、しかももう一人のメイジらしき男から『ルイズ』と呼ばれていた……。 「火事の原因を目撃した男は、ミノタウロスに襲われる二人を目撃していたそうです。そのうち一人が顔に火傷を負った女性で…ルイズと呼ばれていたと証言しております」 「っ……ルイズが生きていると言うのですか?」 「あの爆発痕を見れば、生存が絶望的だとするのは当然です、しかし…しかし私には、ヴァリエール家はルイズを諦めることはできません」 「そうですか…。もしや、ラグドリアン湖に赴いたのは、ルイズを探すために?」 「…愚かな望みかもしれませんが、それを期待して居ないと言えば嘘になります。私は、烈風カリンでありつづけることはできませんでした、公私をはき違えた私は…私はただの愚かな母でしかありません」 マザリーニは、ううむと唸って、考え込んだ。 ルイズという少女は、ルイズが思っている以上に愛されている。魔法の才能など関係なく、いや、この様子では身を守る為に魔法を覚えさせようと、必要以上に厳しくルイズに接してきたのだと想像できる。 わざわざ手紙にマンティコア隊の刻印を用いてまで、謁見を望むなど、鋼鉄の規律とまで呼ばれた烈風カリンの伝説からは考えられない、公私混同を当然だと思う風潮はトリステインにも蔓延しているが、烈風カリンだけは違うという思いこみがあった。 だが、マザリーニは逆にそれを感心していた、カリーヌは公私混同を悔やみながらも、その手段に出た。 悔やんでいるという点が重要なのだ、悔やむことを止めてしまった人間は歯止めがきかない、歯止めがきかぬ欲で身を滅ぼしたリッシュモンという前例もある、 しかしカリーヌは失脚など恐れては居ない、罰を受けることも恐れては居ない、寂しく死んだ娘に会えるなら……と、淡い期待を抱いているに過ぎないのだ。 ちくり、と胸の奥が痛む気がした。 雲はいつの間にか太陽を遮り、窓から入り込む日差しがほんの少し柔らかくなった。 「これからもルイズを探すおつもりですか?」 マザリーニが呟く、カリーヌはそれを聞いて、こくりと頷いた。 「……ルイズのことは諦めたつもりでした。ですがミス・シエスタが魔法学院で、ルイズから貴族の振るまいをルイズから学んだと聞いた時、涙が溢れました。あの子は自慢の娘です。だから私は手段を問わず…ルイズを探し出したいのです」 「手段を問わず、とは?」 「ルイズが生きているのなら盗賊・土くれのフーケも生きているかもしれません。それを口実にヴァリエール家からメイジを各地に派遣します。ガリア・ゲルマニア・アルビオン・ロマリアにも派遣するつもりです」 マザリーニは表情には出さなかったものの、大胆なカリーヌの発言に唖然とした。 アンリエッタも同じ気持ちなのか、こちらは目を見開いて驚いている、心の中ではどうやってルイズを庇うのかを考えているに違いない。 アンリエッタはふと視線を逸らした、わざとらしく窓の外を見て、必死でルイズ達を庇う手段を考えた。 ふぅ…とため息をついてから、改めてカリーヌと向き合う。 「どのような形であれ、ルイズが生きているというのなら、友人として力を貸したいと思います…が」 アンリエッタが答えに窮していると、マザリーニが口を開いた。 「陛下、よろしいですか」 「申しなさい」 「フーケそのものではなく、フーケの足取りと、盗品売買の経路を探りましょう。土くれのフーケの件を今更掘り返すのは得策ではありません。フーケを名乗るニセモノも多数いると聞いておりますから、かえってそれらを調子づかせる事になります」 マザリーニの言葉を聞き、カリーヌが視線をマザリーニに移した。 「ヴァリエール家からメイジを派遣するにしても…ゲルマニア方面は避けた方が得策でしょうな。表向きはフーケの足取りを調査するということにすれば…」 マザリーニが言い終わると、アンリエッタはホッとした表情で、こう纏めた。 「では改めて…そうですわね。五日のうちに勅使をヴァリエール家に派遣し子細を纏めましょう。マザリーニ」 「はい、五日あれば人員の確保もできるでしょう」 マザリーニの言葉に、アンリエッタも満足げに頷いた。 アンリエッタはすっくと立ち上がると、カリーヌの前に手を差し出した。 カリーヌはその意図が分からなかったが、アンリエッタと同じように手を前に出すと、アンリエッタはその手を掴んで優しく包み込んだ。 「……烈風カリンといえば、私は子供の頃、まるでおとぎ話のように聞かされておりました。ですが今、母として私に相対した貴方は、やはり誰よりも優しく誇りに満ちていますわ…貴方がルイズの母で、良かったと、私は思います」 その言葉に、カリーヌは含みがあるのを感じていた。 ルイズが生きていると信じているような、淀みのないアンリエッタの態度。 それは王家の人間が備えている威厳なのだろうか、それともルイズの友達としてだろうか? それとも両方なのろうか? ここ数ヶ月間で、劇的に風格を備え始めているアンリエッタの姿に、カリーヌはどこか懐かしい貴族のにおいを感じていた。 夜。 既にカリーヌ・デジレはヴァリエール家に帰っている。 シエスタとモンモランシーも、今頃は久しぶりに魔法学院のベッドで寝ている頃だろう。 数日間間を置いて、改めてカトレアを治療するらしい。 アンリエッタの居室で過ごしていたルイズが、アンリエッタからそんな話を聞いていた。 窓際で椅子を並べて座り、とりとめのない話をする、アンリエッタにとってもルイズにとっても、心の安まるひとときだった。 ルイズは変装を解き、元の姿に戻っている、平民の着るような野暮ったい厚手のズボン姿が、アンリエッタとは対照的だが、月明かりに照らされた二人は、姉妹のようにも見えていた。 「ねえ、ルイズ。貴方のお母様ってとっても素晴らしい人ね」 「そうよ、だって、烈風カリンだもの、生きた伝説よ」 「違うわ、母としてよ。今でもまだルイズのことを諦めてないんですもの」 「まさかミノタウロスに襲われた時、あの男に名前を聞かれているとは思わなかったわ…失敗したわね」 「失敗だとは思わないわ。だって、貴方がどれだけ家族から想われているのか解ったんですもの」 「………私、ゼロよ? 魔法の才能ゼロってずっと言われてきたのに、今更私のことを探してるなんて言われても…駄目よ、実感がわかないわ」 「ねえ、ルイズ。貴方のおかげでウェールズ様と会うこともできたし、トリステインだって貴方のおかげで助かったのよ。今度は貴方が幸せになるべきよ」 「やめてよ、アン…私に釣り合う男なんて居るわけ無いじゃない。いつか、いつか寿命が来るのよ」 「まあ! 私、殿方のことだとは言ってないわよ、やっぱりルイズにも自覚はあるのね」 「………」 「ごめんなさい、冗談よ、でも、ルイズに幸せになって欲しいのは…本当よ」 「気が向いたら考えるわよ。そろそろ行くわね。今度会う時は…そうね、クロムウェルの首をお土産にするわ」 「……無茶、しないで」 「うん、わかってるわ」 王宮から少し離れた場所に、トリステインで最も大きな練兵場がある。 そこでは、人間を軽く五人は乗せられる成体の火竜が一頭、たたずんでいた。 その傍らで手綱を握るワルドは、練兵場の塀を跳び越えて入ってきたルイズを見ると、既に火竜の背に乗っているマチルダの前に飛び乗った。 のしのしと火竜が歩き、ルイズの元へと移動する。 「ルイズ」 ワルドがそう言って手をさしのべると、火竜はそれに会わせて身体をかがめた。 さしのべられた手を握り、ルイズが火竜の背に乗ると、火竜は大きな翼を広げて力強く空気をかき分けた。 ふわりと上昇する火竜の背から、少しずつ遠ざかるトリスタニアの風景、灯の点る窓の明かりを見て、ルイズはそこに人間の息吹を感じた。 思い出すのは、アルビオンのサウスゴータ。アンドバリの指輪により自我を奪われ、奴隷となった人間の住んでいた町。 トリステインを、そんな目に遭わせるわけにはいかない。 ルイズは月を見上げた。 「ねえ、フーケの足取りを調べるんだって?」 不意に、後ろから声がかかった。 ルイズはワルドに抱きかかえられるようにして火竜に乗っているので、最後尾に座るマチルダの顔はよく見えない。 「ヴァリエール家からも派遣するそうよ、本音は私の捜索、フーケの足取りは建前らしいわね」 「愛されてるねえ」 「やめてよ、愛されていると言えば聞こえは良いけど、ちょっとタイミングが悪いわよ」 「いいじゃないか、あたしなんて怖い人しか探してくれないんだ、家族に探して貰えるなんて、羨ましいよ」 「あら、私を探そうとしているのは、ハルケギニアで一番怖いメイジよ…そう、一番ね」 アルビオンには、驚くほどすんなりと到着することができた。 ワルドとマチルダが交代でレビテーションやフライを唱え、火竜の負担を最小限に抑えたため、二度目の日の出を見る頃にはアルビオンが見えていたのだ。 心配されていた竜騎兵による哨戒だが、それもルイズが『イリュージョン』を使えば誤魔化すことができる。 そもそも現在のアルビオンは、タルブ戦で多くの竜騎兵を失っており、以前と比べてその防御網も穴だらけと言っていい。 アルビオンに到着したルイズ達は、森林地帯から潜入し、ウェストウッド村へと進むことにした。 アルビオンから降り注ぐ川の水が雲になり、ルイズ達の姿を隠してくれたが、火竜はそれを嫌がったのかあまり乗り気ではなかった。 途中、ルイズが『イリュージョン』を用いて森を作り出し、火竜をその中に隠してアルビオンに着陸した。 マチルダの案内で、三人はウェストウッド村に徒歩で移動していた、鬱蒼と茂る森の中は薄暗く、トリステインと比べて背も高い気がした。 『なあ嬢ちゃん、そっちの男にもあの娘を見せちまうのかい?』 ルイズは、背中の剣から声をかけられて、少しだけ考えた後ワルドに向き直った。 「ええ。…そういえばワルドは、会うのは初めてよね」 「ティファニアという女性のことか? ウェールズ皇太子からハーフエルフだと聞いているが…正直なところ、不安はあるな」 『不安になることなんかねえよなあ』 デルフリンガーの軽口にマチルダが答える。 「まったくだね。裏で何やってたのか知らないけど、そっちの子爵サマの方がよっぽど怖いさ。正直言って、エルフが怖いだなんて思われてるのは信じられないね」 「そうなのか?まあ、僕は軍人だからな、エルフといえば戦力として驚異だとしか教えられていない」 ルイズは歩きながら、アゴに手を当てて考え込んだ。 「……確かにあれは驚異ね」 『ありゃ確かに胸囲だなあ』 ウェストウッド村に到着したのは、日が沈みかけた頃だった。 途中、疲れたと愚痴を漏らすマチルダをルイズが背負うなどのハプニングはあったが、特に問題もなく到着することができた。 「マチルダ姉さん!」 マチルダの姿を見て走り寄ってきたのは、ティファニアであった、フードを被り耳を隠してはいるが、その驚異的な身体的特徴は服の上からでも十分に確認することができる。 「みんな無事だったかい? アルビオンがひどいことになっているって、トリステインで噂になっててさ、ここまで来る間気が気じゃなかったよ」 「大丈夫、みなさんのおかげで何とか無事に暮らしていられるわ。でも、今いろんな村で人が駆り出されてるって噂になってるとか…あ、石仮面さん!」 「お久しぶり、ティファニア。元気だった?」 「はい、おかげさまで…あれ? 石仮面さん…ですよね?」 ティファニアは、ルイズの姿をまじまじと見た、茶色く染められた上着に、ズボン姿のルイズは、以前見た時と比べて背が低いように思えたのだ。 「?」 「身長ぐらい増えたり減ったりするわよ、気にしない気にしない」 誤魔化すようにルイズが呟くと、背後からデルフリンガーが呆れたような声を出した。 『そりゃー無理があるぜ』 「うるさい」 無慈悲にもルイズは、デルフリンガーを鞘ごと投げ捨てた。 ワルドはとりあえずデルフリンガーを拾うと、ベルトを肩にかけた。 ティファニアはワルドの姿を見ると、ルイズの袖を軽く引っ張って、小声で呟いた。 「こちらの人は?」 「紹介するわ、彼はワルド。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドよ」 「はじめましてお嬢さん。僕は彼女の…石仮面の部下を務めている。以後お見知りおきを」 「はい、よろしくお願いします」 ティファニアは両手を腰の前で重ねて、お辞儀をした。 その仕草でたわわに実った果実が腕に圧迫され、驚異的な柔らかさを見せつけた。 「ルイズの言うとおり、確かにこれは胸囲だ」 『やっぱ驚異だろ?』 ワルドの側頭部にルイズの蹴りが炸裂するのは、この一瞬後である。 To Be Continued→ 戻る 目次へ
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ルイズがサモン・サーヴァントに失敗してから何日か過ぎた。 授業が終わると一人で草原に出て、夜になるまでサモン・サーヴァントを 繰り返し、早朝は皆より早く起きてサモン・サーヴァントの魔法を繰り返す。 コルベール先生は魔法学院の中庭を使っていいと言ってくれたが、 魔法が失敗するたびに爆発するのでは苦情が来ると言って断った。 本当は、失敗する姿を見られれたくないと考えてたのだが。 毎朝毎晩、サモン・サーヴァントを繰り返し、疲労の回復しないまま授業を受ける。 当然居眠りする時間も増えてしまう。 教師に怒られるわ食事には間に合わないわ、さんざんな日々を送っていた。 もしルイズにキュルケにとってのタバサのような、いわゆる親友がいれば 彼女の変化に気付いたかもしれない。 魔法に失敗して癇癪を起こす訳でもなく、泣くわけでもない。 何度失敗しても、何度も何度も挑戦すればいいと、前向きに考えるようになったのだ。 そんなルイズの変化は、眠っているときに見る夢の影響が大きかった。 夢の中で、ルイズは墓の前に立っていた。朝早く墓に花束を供えて、 遺族に気付かれぬよう静かに墓地を去る。 その時のやるせない気持ちは言葉では表現出来ない。 ルイズの姉「カトレア」は病弱ではあるがまだ生きている。 しかし夢の中の主人公は、友達を「失って」いる。 ぶっきらぼうに生きているが、その内心にはとても繊細な面もあった。 ある日のことだ。 早朝、相変わらずサモン・サーヴァントに失敗したルイズが、朝食を食べようと食堂に行くと、かすかな薔薇の香りが鼻孔をくすぐった。 薔薇の香りと言えば、キザで女たらしだと有名な同級生「ギーシュ・ド・グラモン」ぐらいしか思い浮かばない。 案の定すぐ近くの席で、ギーシュとその友人達が楽しそうに笑っていた。 「なあ、ギーシュ! お前、今は誰とつきあっているんだよ!」 「誰が恋人なんだ? ギーシュ!」 ギーシュは唇の前に指を立てて、こう言った。 「つきあう? 僕にそのような特定の女性はいないのだ。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くのだからね」 ルイズは馬鹿馬鹿しいと考えながら、食事が始まるのを待っていた。 食事が終わりに近づき、デザートが配られると、さきほどは楽しそうにしていたギーシュが、女性二人の怒りを買っている姿が見られた。 よくある痴話喧嘩だ、話を聞いていると、ギーシュは二股をかけていたらしい。 「呆れるわね」 ルイズはぼそりと呟いた。 いつものルイズなら、そのまま無関心を決め込むはずだった。 他人の痴話喧嘩に口を出すような真似はしたくない。 しかし、痴話喧嘩の原因作った「二股のギーシュ」は、 メイドの少女に責任転嫁をし始めた。 いつもなら無視するところだが、その時、何故かルイズは立ち上がっていた。 「いいからその辺にしておきなさいよ。二股掛けてたあんたが悪いんでしょう」 「……ミス・ヴァリエール、何を言うんだね。僕は躾のなってないメイドに注意をだね」「注意ってのは貴族の権威を傘にして、自分の責任を押しつけることなの?」 (二万円もするズボンは破けたけど…)と不可解なことを言いそうになったが、ぐっと我慢した。 そこでギーシュは、馬鹿にしたような口調でこう言った。 「使い魔の召喚出来ない君には分からない事だったね。魔法の使えないキミに、貴族の何が分かるというのかい?」 「へえ、魔法を見せなきゃ成金にしか見えない貴方が貴族を語るの?」 ギーシュの目が光った。 「どうやら、君は魔法どころか礼儀も”ゼロ”なんだね」 「あらそう、誇りがゼロのギーシュに言われるなんて光栄ね」 ルイズははギーシュを真似て、キザったらしい仕草で言った。 「よかろう。君に礼儀を教えてやろう。ちょうどいい腹ごなしだ。 ヴェストリの広場で待っている。」 ギーシュの友人達は驚いたような顔で立ち上がり、ギーシュの後を追う。 床にへたりこんだメイド、確か名前は「シエスタ」だと思ったが、彼女はぶるぶる震えながら、ルイズを見つめている。 「大丈夫?」 「あ、あのっ、わ、私…」 「ここから先は私の問題だから、お仕事を済ませて、貴方は自分の仕事をしたんだから誇りを持って。ね?」 「……」 呆然とするシエスタを横目に、ルイズはヴェストリの広場に向けて歩き出した。 ルイズは何故か穏やかな精神に驚いていた。 驚きながらも、それが自然なのだと思えるような、堂々とした足取りで歩く。 貴族同士の決闘は禁止されているとか、そんなことはどうでもよかった。 怯えたシエスタの目を見て思い出したのは、ルイズの姉「カトレア」の姿。 優しい「カトレア」姉様は使用人達からも慕われていた。 彼女は体が弱く、遠出の出来ない体だったが、 動物たち、使用人達、兵士達からいろいろな土地の話を聞いて楽しんでいた。 彼女は体が弱い分、誰かに守って貰わなければ長く生きられない事を知っている。 だからこそ彼女の周りには、恐怖心ではなく、純粋な気持ちで慕う人が集まるのだ。 ルイズは長女の「エレオノール」姉から貴族の恐ろしさを。 「カトレア」姉からは貴族としての理想を学んだのかもしれない。 メイドに責任を押しつけてプライドを保つ。そんな貴族は笑いものだ。 この時のルイズの後ろ姿を見た友人達は、後にこう語る。 まるで空気が震えているようだった、と。 ”ド ド ド ド ド ド ド ド ” 前へ 目次 次へ
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 「一体何が?……あっ」 突拍子もなく音が聞こえなくなった事に僅かながら動揺した声を口から漏らした時、彼女は気が付いた。 周りの音や他人の声は聞こえないが、自分の声だけはやけにハッキリと聞こえる事に。 それに気づいた彼女は落ち着こうとするかのように軽い深呼吸をした後、赤みがかった黒い両目を鋭くさせてこの事態について考え始める。 幻想郷での妖怪退治や異変解決、そしてスペルカードを用いた戦いにおいてもまず冷静にならなければ全てはうまくいかない。 気持ちを落ち着かせれば今まで見えなかった解決策も瞬時に出てくるが、逆に焦ってしまえば相手に翻弄されて敗北を喫してしまう。 それは戦いという行為をするにあたって初歩中の初歩とも言える事だが、霊夢はその『何時いかなる状況でもすぐに落ち着ける』という事に長けていた。 自分の声意外が聞こえなくなったという異常事態におかれても、彼女は自分のペースを乱すことなく僅かな時間で落ち着くことができた。 それを良く言えば博麗の巫女として優秀な証であり、悪く言えば酷いくらいにマイペースな証であった。 (紫の仕業?…イヤ、アイツならもっとストレートにきそうだけど) 自分に話しかけてくる二人を無視しつつも霊夢は考え、一瞬あのスキマ妖怪のせいかと思ったがすぐにそれを否定する。 もしも、自分に用があるのだとしたらまずこんな回りくどい事はせずに直接顔を出してくるだろう。 確たる証拠は無いが、博麗の巫女としてあの妖怪と付き合い数多のちょっかいを掛けられてきた彼女にはそう言い切れる自信があった。 (アイツなら普通にスキマから顔を出したり、客に扮してコッチに話しかけてきそうね……―――…ん?) いつもニヤニヤしていて掴みどころのない知り合いの顔を思い浮かべた瞬間…。ふと左手の甲に違和感の様なモノを感じた。 まるでほんわりと暖かい手拭いをそっと置かれたように、妙に暖かくなってきたのである。 一体次は何なのかとそちらの方へ目を向けた瞬間、霊夢はその両目を見開いてまたも驚く羽目となった。 召喚の儀式でルイズにつけられ、此度の異変解決の為に彼女がこの世界に居ざるを得ない原因を作り出した使い魔のルーン。 この世界の神と呼ばれる始祖ブリミルの使い魔であり、ありとあらゆる武器と兵器を扱う程度の力を持ったというガンダールヴの証。 そして、今のところたった一回だけしか反応しなかった左手のそれが、突如として光り出したのである。 「なっ…!?…これって…!」 これには流石の霊夢も動揺と驚きを隠せず、目の前にいる二人もそれに気づいてか驚いた表情を浮かべている。 「………、……………?」 「…………ッ!?……、………!!!」 魔理沙は初めて見るルーンの光に興味津々な眼差しを向け、霊夢に使い魔の契約を施した張本人であるルイズは突然の事に吃驚している。 一方の霊夢もその目を見開いたまま、久しぶりに見たルーンの光を時が止まったかのようにジッと凝視していた。 左手の甲に刻まれたルーンの光はそれ程強くもなく、例えれば風前の灯火とも言えるくらいに弱弱しい光り方をしている。 しかしそれでも光っている事に変わりはなく、特にルイズと霊夢の二人は魔理沙よりも使い魔のルーンが光ったことに驚いていた。 何せアルビオンで一回見たっきり全く反応しなかったソレが思い出したかのように輝き始めたのである、驚くなという方が無理に近い。 (一体どういう事なの?今になって使い魔のルーンが光るなんて…) 未だ驚愕の渦中にいるであろうルイズたちより一足先に幾分か冷静になっていく霊夢の脳裏に、とある考えが過る。 まさか…自分以外の声が聞こえないというこの異常事態と何か繋がりがあるのではないか? 突拍子もない仮説と言って切り捨てる事ができるその考えを、しかし彼女はすぐに破棄する事ができない。 (もし違うというのなら今の段階では証明できないし、―――あぁ~…かといって今の状況とルーンが繋がってる証拠も無し、か…) 一通りの頭の中で考えた末に結論が出なかった事に対し、思わず首を傾てしまう。 霊夢にとって今の状況は充分に゛異常゛と呼べる代物ではあるが、その゛異常゛を解決するための糸口となるモノがわからないままでいた。 そして光り続けているルーンは単に光っているだけなのか、今のところは何の力も感じられない。 (参ったわねぇ~…。このまま耳が聞こえなかったら色々と不便になるじゃないの) 常人ならとっくの昔に慌てふためいている様な状況ではあるが、そこは博麗霊夢。 まるで傘を忘れて雨宿りしているような雰囲気でそう呟きつつ、ため息をつこうとする。 ――――… 「……ん?」 そんな時、彼女の耳に小さな『声』が入ってきた。 まるで地上から十メートル程掘られた井戸の底から聞こえてくるようかのように、その『声』はあまりにも小さく何を言っているのかもわからない。 普通の人間であるのならば、恐らくは空耳か幻聴だと思い込んで聞き逃してしまうだろう。 しかし、この数分間他人の声を聞くことが出来ないでいた霊夢の耳はその『声』をしっかりと捉えることができた。 彼女は何処からか聞こえてきた『声』に辺りを見回すが、それらしい人物や物は一切見当たらない。 もしかしたらとルイズたちの方へ目を向けるが、先程と同じく二人の声は全く聞こえてこない。 (何よさっきの声?…一体どこから聞こえてきたっていうの) 霊夢は心中で呟きながらも、大きなため息をつく。 こうも立て続けにおかしい事が自分の身に降りかかってくるという事に、彼女は辟易しそうであった。 しかしそんな事は後回しにしろ言わんばかりに、またもや正体不明の『声』が霊夢の耳゛にだけ゛入ってくる。 ―――――…ム (まただ、また聞こえてきた) 先程よりも少しだけ大きくなった謎の『声』に、霊夢は無意識に首をかしげてしまう。 恐らくこの『声』は彼女の耳だけにしか届いていないのだろう。ルイズと魔理沙の二人はキョトンとした表情を彼女に向けている。 もし聞こえているのなら何からのリアクションを取るだろうし、取っていなければ聞こえていないという証拠だ。 そして、霊夢がそんな事を考えている最中にも今の彼女に取り残された二人は何か話をしている。 「……?…………?」 声が聞こえないので何を言っているかはわからないが、魔理沙は腰を上げた霊夢を指差しつつルイズに何かを聞いている。 しかしその内容があまり良くなかったのか、ルイズは少し怒ったような表情を浮かべて黒白の魔法使いに詰め寄った。 「…!…………!」 「……?……………」 そんなルイズに魔理沙は両手を突き出して止めつつ、笑顔を浮かべて嗜めようとしている。 (一体何を話してるのかしら?こうも聞こえないと無性に気になってくるわねぇ) 魔理沙に指差された霊夢がそんな事を思っていた時…。 ―――――…イム またもあの『声』が、耳に入ってくる。 時間にすれば一秒にも満たないがある程度聞き取れるようになったソレを聞いて、霊夢はある事に気が付く。 そう、周りの音や声が聞こえなくなった彼女の耳に入ってくる『声』は、女性の声であった。 しかし…女性といっても今この状況で聞こえてくるであろう少女たちの声ではないし、この世界で出会ってきた人々や幻想郷の顔見知り達の声とも違う。 自分の『記憶』が正しければ、この『声』は全く聞き覚えの無いものだ。 謎の『声』に耳を澄ませていた霊夢がそう思った時、彼女はある『違和感』を感じる。 (……でも、おかしい) その『違和感』は先程左手の甲に感じた時とは違い、自身の『記憶』から感じ取ったものであった。 それはまるで、九百枚ほどのピースがあるジグソーパズルのように繊細でとても小さな違和感。 しかも額に飾られたそれは固定されていなかったのか、嵌っていたピースが何十枚か床に落ちて穴ぼこだらけのひどい状態を晒している。 彼女はピースが嵌っていた穴の中から掴みだすかのように、その『違和感』を探り当てたのだ。 周りの音が聞こえなくなり、突如光り出したルーンに続いて自分だけにしか聞こえない謎の『声』。 ついさっき思ったように、この『声』に聞き覚えは無い。 そう、無いはずなのだ。しかし… (…何でだろう?この声。何処かで聞いたことがあるような無いような…) 彼女はこの『声』に全く聞き覚えがないと、完全に肯定することができないでいた。 本当に聞き覚えが無いのか、それとも記憶にないだけで一度だけ聞いたことがあるのか? 怪訝な表情を浮かべ始めた霊夢は、周りの雑音と声が聞こえなくなった店の中で考え始める。 例えば、テーブルの上に置かれた二つある林檎の内一つだけを選んで食べろと誰かに言われたとしよう。 一見すればどちらとも状態が良く、素晴らしい艶と色を持った朱色の果実。 しかしその内の一つには毒が入っており、もしも間違って食べてしまえばあの世へ直行するだろう。 彼女は慎重かつ冷静な気持ちで左の林檎を手に取るが、すぐに齧りつくようなことはしない。 手に取った林檎とテーブルに置かれたままの林檎を見比べながら、彼女は頭を悩まし始める。 彼女が頭を悩ましている原因は、きっと脳裏をよぎった一つの考えにあるだろう。 『もしもテーブルに置かれている方が何の変哲もない普通の林檎で、手に取ったのが毒入りだったら…』 単なるif(イフ)…つまりは『もしも』として思い浮かべたそれは、秒単位で現実味を帯びていく。 外見はどちらともただの林檎で、目印になるようなものは一切見つからない。 だからこそ悩んでしまうのだ。本当に自分の選んだ林檎こそ、毒が入っていない方なのか… しかし。彼女…霊夢にとってその迷いなど文字通り一瞬でしかない。 頭に思い浮かんだ『もしも』など少し考えただけですぐに捨て去り、自分を信じて手に取った方の林檎に思いっきりかじりつくだろう。 無論それに毒が入っていたら死んでしまうが、自らの身がそうなってしまう事を全く想定してはいない。 持ち前の勘と思い切りの良さで今まで数々の異変解決と妖怪退治をこなしてきた博麗霊夢にとって、毒入りの林檎など恐れる存在ではないのだ。 (まぁ、気のせいよね。こんなにもおかしい事が続くから気でも立ったのかしら…?) 霊夢はたった数秒ほど考えて、謎の声に聞き覚えがあるか否かという事を『単なる気のせい』として片付けようとした。 突然自分以外の声が聞こえなくなったことや使い魔のルーンが発光、そして謎の『声』。 常人ならばパニックに陥っても仕方がないこの状況下で、彼女は酷いくらいに冷静であった。 むしろその様な事態に見舞われているのにも関わらず、平気な表情を浮かべている。 最初の時こそ軽く驚きはしたものの、数分ほど経った今ではこれからどうしようかと解決策を思案しているのが現状であった。 (とりあえず声より先に気になるのは…ルーンと私の耳かしらねぇ) 謎の『声』に関してはひとまず置いておく形にして、彼女は残り二つの゛異常゛をどうする考えようとする。 自分の事などそっちのけで、何事か話し合いをし始めたルイズと魔理沙をのふたりを無視して… しかし…事はそう単純ではなかった。 『単なる気のせい』として片付けられるほど落ち着いていた彼女を、゛異常゛は許さなかったのである。 ――――…レイム 「え―――――…あれ?」 新たな思考の渦に自ら身を投げようとした時。俺も仲間に入れてくれよと言わんばかりに、あの『声』が霊夢の耳に飛び込んできた。 最初に聞いたときはあまりにも小さく、誰の声で何を言っているのかもハッキリとわからなかったあの『声』。 しかしそれまでのとは違い通算四度目となるそれはハッキリと聞き取れ、何を言っているのかわかった。 同時に、この『声』に何故聞き覚えが無いと絶対に言い切れなかった原因も。 それに気づいた彼女は、思わずその目を丸くしてしまう。 何故、聞き覚えが無いと思っていたのだろうか? 何故、自分の周りから聞こえてくるのだろうか? そんな事を思ってしまうほど、彼女にとってこの声は身近なモノであった。 いや、もはや身近という言葉では言い表せないだろう。何故なら、彼女だけに聞こえているその声は―――― ―――――…レイム 博麗霊夢。つまりは自分自身の声だったのだ。 「私の――――…声?」 その事実に気づいて呟いた瞬間。彼女の視界の端を『黒い何か』が横切っていく。 まるで風に吹かれて揺らぐ笹の葉のようなそれは、美しい艶を持った黒髪であった。 霊夢がその髪を見て咄嗟に後ろを振り向いた時、目を見開いて驚愕する。 振り返った先には、一人の女性がいた。 歩いて一メイルほどもない所にある出入り口の前で背中を見せている女性は、ポツンとその場に佇んでいた。 先程霊夢が見た黒髪は腰に届くほどまでに伸ばしており、窓から入る陽の光で綺麗な光沢を放っている。 少しだけ開かれた店内の窓から入る初夏の風でサラサラと揺れ動くその髪は、一本一本が正確に見えた。 霊夢自身も黒髪ではあるが、あれ程美しい艶や光沢を放ったことは無い。 もしも今の様な状況に陥っていなければ、何と珍しい黒髪かと思っていただろう。 だが…。彼女はその事に対して驚いたのではない。 席を離れて十歩ほど足を動かせば、身体がぶつかってしまうであろう距離にいる女性の服を見て、驚いたのである。 血やトマトの色というよりも、何処かおめでたい雰囲気を感じる真紅の服とロングスカート。 霊夢と魔理沙が本来いるべき世界で起こったという古代の合戦から生まれたと言われる紅白の片割れである紅色は、否応なく目立っている。 足に履いた革茶のロングブーツは、見た目や歩きやすさだけではなく攻撃性すら要求しているようにも見受けられる。 もしもあのブーツで力の限り踏まれたり蹴り技をくらうものならば、単なる怪我で済まないのは一目瞭然だ。 だが、霊夢が驚いた原因の根本はそのどれ等でもない。 彼女が女性の服を見て驚いた最大の原因は、真紅の服と別離した―――『白い袖』にあった。 彼女が付けているそれよりも若干簡素なデザインをしつつも、常識的には珍しい白い袖。 不思議な事に、まるで真冬の朝に見る雪原のように静かでありながら何処か儚い雰囲気が漂っている。 いつの間にかその袖を食い入る様に見つめていた霊夢はその両目を力強く見開き、口を小さくポカンと開けている。 もしもルイズや魔理沙にも女性の姿が見えていれば、嘲笑よりも先に霊夢と同じように驚くのは間違いないだろう。 そう、幻想郷でもたった一人しかいない結界の巫女と同じ姿をした者がいる事に。 多少の差異はあれど、目の前にいる女性の姿は霊夢と同じく――゛博麗の巫女゛そのものであった。 「アンタ…誰なの?」 気づけば、霊夢は無意識にそんな言葉を口走っていた。 その言葉を向けた先にいるのは、彼女に背中を見せている黒髪の女性。 真紅の服と白い袖をその身に着ける、自身と似たような姿をした謎の女性。 「アンタは、何なの?」 彼女の言葉に女性は何も言わず、体を動かすことも無い。 ただ店の出入り口の前に立ち、自らの後ろ姿をこれでもかと見せつけている。 書き入れ時を過ぎたとはいえ営業妨害とも思えるその行為に、店の人間は何も言ってこない。 いや、言ってこないのではない。気づいてすらいなかったのである。 初めからいないと思っているように、霊夢以外の皆が女性の存在を無視していた。 振り返った彼女の近くにいたルイズと魔理沙も同じなのか、キョトンとした表情を浮かべて出入り口を見つめている。 その二人に気づかぬほど冷静さを失い始めていく霊夢は、またも呟いた。 自分にしか見えていないであろう女性へ向けて無意識に口から出た、疑問の言葉を。 「アンタは―――――――…私?」 言い終えた瞬間、霊夢の耳に再び『声』が入ってきた。 寸分たがわぬ彼女自身の声でたった一言だけ……こう呟いた。 ――――…霊夢 直後、出入り口の前にいた女性の体がパッと消えた。 まるで最初からいなかったかのように、その存在そのものが消失したのである。 その様子を最後まで見ていた霊夢の脳内で唐突に、ある仮説が生まれた。 もしかすると、自分の身に起きた異常事態を起こしたのは…彼女ではないのか? その時、左手のルーンがフラッシュを焚いたかのようにパッと一瞬だけ力強く輝く。 瞬間。ルーンの光と呼応するかのように霊夢の視界が白く染まり、次いで彼女の脳内で誰かが囁いてきた。 先程聞こえてきた自分自身の声とは違い酷いノイズが混じった声は、こう言ってきたのである。 『ヤツを、追え』――――と 「――――――…ッ!」 気づけば、その体は無意識に動いていた。 どうして頭より先に体が動いたのか、今の声は誰だったのか。それを理解できるほど今の彼女は落ち着いてはいなかった。 そんな彼女の心境を表しているかのように、左手の甲に刻まれた使い魔のルーンは先程よりもその輝きを増している。 まるで霊夢に何かを語り掛けているかのように、その光は強くなっている。 木造の床を蹴り飛ばすかのように足を動かして、彼女は出入り口へ向かって走り出した。 しかし、先程まで女性が佇んでいた店の出入り口となるドアへ近づいた瞬間… 「……―――ょっと、レイムッ!?」 懐かしくも、そうでないルイズの声が聞こえてきた。 それと同時に、まるで世界に音が戻って来たかのように、店内の音と声が霊夢の耳に入ってくる。 だが、いつもの冷静さをかなぐり捨ててドアを開けた彼女は、その声を聞く前に店を飛び出していた。 ルイズ達を置いて、街へと再び躍り出た彼女が何処へ行くかは誰も知らない。 ただ…。霊夢の左手に刻まれたガンダールヴのルーンは、これまでの鬱憤を解消するかのように光り輝いている。 まるで彼女を、何処かへ導くかのように。 アルベルトとフランツは思った。オーク鬼を相手に素手だけで勝てる人間はこの世にいるのかと。 ハルケギニアに住む人間ならば貴族平民問わず、誰もがその質問にこう答えるだろう。 「勝てるワケがない」と、確かな自信を持って。 無論二人はそれを知っているし、仕事柄数々の亜人と戦ってきた経験も豊富にある。 醜悪な外見とその体に見合わぬ俊敏な動き、そして人間以上の怪力を持つオーク鬼は非常に手強い。 彼らとの戦いでは、例えメイジであっても一瞬のミスが命取りになるのだ。 そんな相手を素手だけで戦おうというのは、もはや自殺行為以外の何物でもない。 そして自殺をするなら、まだ首を吊ったり高所から飛び降りた方が楽に死ねるのは火を見るより明らかだ。 だから二人は常に思っている。武器なしでは亜人に勝つどころか戦う事さえできないという事を。 だからこそ、二人は我が目とハルケギニアの常識を疑った。 目の前の『光景』は、一体何なのかと。 「あ…あ…」 フランツの後ろにいたアルベルトは口をポカンと開けて、自身の目でその『光景』を凝視していた。 彼の前にいるフランツは、信じられないと言いたげな表情を浮かべたまま目を見開いている。 そして彼らの前に現れ、突如乱入してきたオーク鬼に襲われたローブを羽織った者は…その右手で『突き破っていた』。 まるで槍か剣のように突き出したその手で突いたのは、脂肪と筋肉に包まれた分厚い皮膚で守られた額。 そのような皮膚を持っているのは、ハルケギニアに住まう者たちから恐れられる亜人の一種であるオーク鬼だけだ。 そう、ローブを羽織った者の手が突いたのは…襲いかかってきたオーク鬼の額であった。 あと少しでオーク鬼に噛み付かれそうになった瞬間。垂直に突き上げた右手がオーク鬼の額を破って脳を突き、見事その息の根を止めたのである。 しかしローブを羽織った者の後ろにいた衛士たち二人は、その瞬間を見ることができなかった。 瞬きをした瞬間には、既にオーク鬼は今の様な状態になっていたのである。 頭をやられて絶命した亜人の両腕はだらしなく地面へと下がり、ついで右手に持っていた棍棒が手から滑り落ちる。 今まで多くの人間や同族たちを屠ってきた血だらけのソレは鈍い音を立てて地面を転がり、ローブを羽織った者の足元で止まった。 肥え太った体はピクリとも動かず、力を失った両腕がフックで吊り下げられた肉のように揺れ動く。 標準的な人間の五倍ほどもある体重を支える足からも力が抜けていき、今や地面に突っ立ているだけの肉塊と化していた。 やがて頭を貫いたその手でオーク鬼が死んだことを感じ取ったのか、ローブを羽織った者は突き出していたをスッと後ろへ引き始める。 突くときは目にも止まらぬ早業で突いたのにも関わらず、引き抜くときにはとてもゆっくりとした動作でその右手を引き抜いていく。 しかしその光景は、まるで抜身の剣を鞘に納める時のようにとても滑らかで一種の美しささえ併せ持っていた。 だがそれを全てぶち壊すかのように、骸となったオーク鬼が死してなお自らの存在をアピールしている。 五秒ほどの時間をかけて右手をオーク鬼の頭から引き抜いた瞬間、亜人の体がゆっくりと右側に傾いていく。 二人の衛士たちが未だ唖然とした表情を浮かべている中、オーク鬼の骸は大きな音を立てて地面に倒れこんだ そしてそれを見計らったかのように貫かれた額から血が流れ始め、むき出しの土が見える地面を真っ赤に染めていく。 オーク鬼を殺したローブを羽織った者はその様子をじっと見つめていたが、その後ろにいる二人は別の方へと視線が向いていた。 彼らの視線の先にあるのは、ローブを羽織った者の『右手』であった。 その右手はオーク鬼の赤い血の色や黄色い脂の色でもなく、青白い光に包まれていた。 まるで夜明けの空と同じ色の光で包まれたその右手は、驚くほどに綺麗だ。 あの右手でオーク鬼の頭を貫いて仕留めたのにも関わらず、体液の様なモノは一切付着していないのである。 一体自分たちの目の前にいるのは何だ?人間ではないのか? オーク鬼が現れた時も全く騒がなかった馬の上で、フランツの脳裏に数々の疑問が過ってゆく。 どうして素手で亜人を殺せたのか。あの右手を包む光は何なのか。そもそもアレは人間なのか。 答えようのない疑問ばかりが脳内に殺到する中、彼の後ろにいたアルベルトがポツリと呟いた。 「ば…化け物…。化け物だ…」 彼の声が聞こえたのか。こちらに背中を向けていたローブを羽織った゛何か゛が、素早い動作で振り向いた。 まるで彼の言った「化け物」という言葉に反応したかのように、それは早かった。 近くにいたフランツはいきなり振り向いてきた事に驚いて馬上で体を揺らした瞬間、見た。 頭から被ったフードの合間から見える、赤く輝くその両目を――――――― 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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宝物庫から聞こえてきた音は、地面を伝わって鈍く響いている。 例えるなら、大きな岩にゴーレムが体当たりするような音だろうか。 裏口周りを警戒していた衛兵達も、音のする方へと走って行った。 「今のうちに出発しようかな…」 そう呟くルイズだったが、宝物庫とは別の場所から、ごく小さな振動を感じた。 タタタン、タタタンと、馬が走るようなテンポが感じられるのに、蹄の音はしない。 それを不思議に思ったルイズは馬車の影に隠れると、地面に耳を当てた。 宝物庫の方から聞こえてきた音は、おそらく巨大なゴーレムだろう。 ズシン、ズシンと音を立てて宝物庫から離れていく。 もう一方から聞こえてくる音は、間違いなく馬の蹄の音だ。 一頭の馬が魔法学院から逃げるようにして走っている。 …怪しい。 衛兵達は宝物庫周辺に集まっていだろう。 姫様を守る衛士隊は姫様の護衛が第一任務だから、姫様から離れられない。 生徒達もそうだ、姫様を守る者と、宝物庫での騒ぎに駆けつける者に分かれているはず。 学院内には誰も残っていないだろう。 警備の手薄になった場所から逃げていく者…そんなのは、この騒ぎの元凶に違いない。 ルイズは馬車と馬を繋げているベルトを外し、鞍もつけられていない馬に飛び乗った。 鬣(たてがみ)をグッと掴むと、馬が不快感を感じルイズを落とそうと暴れ出す。 「URYYYYYYY…」 とても人間の声とは思えない、叫び声にも似た音を、馬の耳元でささやく。 すると馬は暴れるのを止めた。 「KUAAAAAAAA…ァァァ…良い子ね、さあ、私を運んでちょうだい」 ルイズの言葉に呼応するかのように、ルイズの乗る馬は走り出した。 馬を走らせて二時間、林を抜けて農耕地に出る。 雑草に包まれた農耕地が、今が農閑期であることを示している。 ふと後ろを向くと、トリスティン魔法学園の塔も森の影に隠れ、見ることは出来なくなっていた。 ルイズは相手に気づかれぬよう、距離を置いて走っていた。 地面を見て蹄の痕跡を探し、後を追う。 先ほどから周囲を警戒しつつ走っているが、見事に誰にも見つかっていない。 相手が何者なのか分からないが、見事な手腕だと思った。 農耕地の先には、先ほど通過した林よりも深い、森が広がっている。 足跡は森の奥へと通じているが、ここから先は罠が仕掛けられているかもしれない。 細心の注意を払って馬を走らせていると、地面に残された馬の足跡が変化しているのに気づいた。 蹄の間隔は短く、それでいて今までより垂直気味に体重がかかっている。 馬を歩かせている証拠だ。 ルイズは馬をその場に留め、樹木の生い茂る森の中へと駆けていく。 森の中をしばらく走ると、ローブを被った女性が歩いているのを見つけた。 その女性は森の中にあるあばら屋に入っていったので、ルイズは音もなくあばら家に近寄り、聴覚に神経を集中した。 「ふふ…やっと手に入れたよ、高く売れるかねえ、このアイテムは」 森の奥にぽつんと建っているあばら屋に、一人の女性がいた。 昔は炭焼き小屋として使われていたのだろう、壊れた窯や、湿気った薪が散乱している。埃の被った机の上に、宝物庫から奪った箱を置く、そして鍵穴に向けて、練金のルーンを詠唱した。 杖を振ると同時に、固定化の魔法がかけられた鍵穴が、土塊へと練金される。 ボロボロと崩れた鍵穴に指を引っかけて、箱を開けると、中から一冊の本が出てきた。 「…? なんだいこれ」 本のタイトルは見たこともない文字で書かれていた。 気を取り直して本を開くと、どのページを見てもハルケギニアで使われている文字とは違う文字が使われている。 最後の奥付らしき部分だけ、かろうじて読むことが出来た。 『波紋ハ人間ノ賛歌ニシテ、勇気ノ賛歌。 伝承者ハ慢心セズ修行ニ努メルベシ。 此書、細君リサリサニ捧グルモノナリ。』 「なんだいこれ、読めないじゃないか!」 本に書かれている文字はまったく読めない、その上ディティクト・マジックを使っても反応しない。 何か重要なマジックアイテムかと思ったが、どうやらただの本のようだ。 「これじゃあ苦労して盗んだ意味が無いじゃない…あーあ」 古文書だとしたら、闇市に売るのも苦労する。 このような珍しい文献類は、希少価値は高いかもしれないが、その反面出所が割れやすいのだ。 「こんな事なら当初の予定通り、破壊の杖でも盗んでくれば良かったわ」 ため息混じりに呟き、壊れかけた椅子の背もたれに体を預ける。 すると突然、ドカン!と大きな音を立てて、あばら屋の扉が吹き飛んだ。 「なっ!?」 バラバラに吹き飛んだ扉に驚きながらも、すぐさま杖を手に取り、侵入者を睨み付けた。 侵入者は悠々とあばら屋の中に踏み込んで、こう言った。 「あら、あなたが土くれのフーケだったの?」 侵入者は、ゼロと呼ばれる少女だった。 [[To Be Continued …… 仮面のルイズ-6]] ---- #center(){[[4< 仮面のルイズ-4]] [[目次 仮面のルイズ]]} //第一部,石仮面
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前のページへ / 一覧へ戻る / 次のページへ 帰還したルイズ達はさっそく学院長室へ赴き、オスマンとコルベールに報告する。 ミス・ロングビルの正体が土くれのフーケだったという事実は、 彼女の色香に全力で騙されていたオスマンとコルベールにとって相当の衝撃だった。 オスマンは酒場で偶然出会いお尻を触っても怒らなかったから秘書に採用したと言うし、 コルベールも実はロングビルに宝物庫の弱点を聞かれてペラペラ喋っちゃったりしてる。 大丈夫かこの学院。 第9話 ルイズと踊れ 「ま、何はともあれみんな無事でよかったよかった! 君達に『シュヴァリエ』の爵位申請を王宮にしといてやったから、 その冷たく蔑むような視線はそろそろ勘弁してくれんかのー」 学院長の身でありながら下手に出るオスマンに皆一様に呆れたが、 シュヴァリエという餌に釣られたルイズとキュルケはすっかり上機嫌になる。 だが、ふいにルイズの表情が陰った。 「……オールド・オスマン」 「む? 何かね、ミス・ヴァリエール」 「あの……その、えっと」 ルイズは、自分達の後ろで控えているハクオロへ視線を向けた。 感情の読めない表情で見つめ返され、すぐにオスマンへと向き直る。 「……ハクオロには、何もないのでしょうか?」 「彼は平民の上、お前さんの使い魔じゃからのう。 いわば彼の手柄は主の手柄、彼への褒美は君達がシュヴァリエの称号を得る事じゃよ」 「じゃ、いらないわ」 あっけらかんとした口調で突然とんでもない事を言うキュルケ。 さすがのタバサも驚いた。 「あー、それは、ミス・ツェルプストー……シュヴァリエの爵位を辞退する、と?」 「シュヴァリエの爵位くらい、いずれ自力で取るからいいわ。 それに、ハクオロは私からの贈り物を受け取らなかったのに、 私だけ受け取るっていうのは、どうもね」 キュルケは後ろにいるハクオロに振り向いて、ウインクを決める。 「ま、待ってくれキュルケ。剣の件だが、自分は結局あの剣を折ってしまった。 本来弁償しなければならないのに、君はそれをいともたやすく許してくれたろう。 だから、私の事など気にせずシュヴァリエの爵位を得るべきだ。 私抜きにしても、君達一人一人の功績は十二分に大きいものだ」 「そうね。誰一人欠けていてもフーケを捕まえて天照らすものを取り返すのは不可能だった。 四人全員が力をひとつにしたからこその功績なの。 だから、ハクオロがいなければ私達は生きて帰る事すらできなかったかもしれない。 そのハクオロのご褒美が、私達への爵位だというなら、本当にいらないのよ」 「キュルケ……」 「オールド・オスマンや、あなたの言う事はよく解るわ。間違ってるとは思わない、でも。 あなたからの贈り物はこんな形じゃなく、あなたの手から直接渡してもらいたいもの」 どちらからともなく、キュルケとハクオロ双方が微笑む。 すっかりなごやかな空気に変わったところで、タバサも口を開いた。 「私もいらない」 なごやかな空気がまた驚きに染められるが、キュルケだけはクスクスと笑っている。 「あら、どうして?」 「もう持ってる」 「そう」 そして、ルイズ。今度は彼女が何か言い出すだろうとオスマンとコルベールは視線を向ける。 キュルケとタバサも、ハクオロもルイズに視線を向けた。 ツェルプストーのキュルケが辞退し、タバサまで辞退した今、 ここで自分だけシュヴァリエの爵位をもらいますなんて言ったら、 空気読めないとか浅ましいとか、貴族として非常によろしくない評価を得てしまう。 『ゼロのルイズ』としてコンプレックスを持っていたルイズにとっては、 喉から手が出るほど欲しいシュヴァリエの爵位。しかし、しかし! 「……わ、私も辞退します」 精いっぱい強がって、何ともないって表情の裏で、号泣するルイズ。 わざわざつき合う事ないのに、とキュルケは呆れ顔を浮かべながら、どこか嬉しそうだ。 ハクオロも「もったいない」と溜め息をついている。 コルベールは困り顔、オスマンは残念なような嬉しいような曖昧な表情。 「どうやら三人とも、シュヴァリエ以上に大事な貴族としての精神を持っているようじゃ」 貴族としての精神。 そのキーワードに、ルイズが反応する。 (貴族……貴族としての、精神……) ギュッと唇を噛んだルイズを見て眉根を寄せながらも、オスマンは話を終わらせようとする。 「では、とりあえずこれにて解散とするかの。皆、ご苦労じゃった。 今宵はフリッグの舞踏会、主役は諸君等三人。思う存分楽しんでおいで」 キュルケとタバサが一礼し、ルイズは、拳をきつく握って、吐き出すように語り出した。 「も、申し訳ありません! 天照らすものが奪われたそもそもの責任は、私にあります!」 いったい何度驚かされればいいのか、とコルベールはすっかり驚き疲れている。 一方オスマンは「ほう?」と余裕たっぷりだ。 「あの晩……私は塔の外壁に魔法をかけてしまい、その、失敗しました。 ご存知かとは思いますが、私の魔法は失敗すると爆発を起こします。 外壁が私の爆発で崩れた直後、土くれのフーケが現れて……」 「なるほどのう。フーケ如きに破られる壁ではないと思っていたが……。 しかし魔法の失敗による爆発か。それが固定化などに変な作用を起こしたのかのう」 「今まで黙っていて、申し訳ありませんでした。いかなる罰でも……」 「いや、罰など与えんよ。失敗魔法程度で崩れる壁が悪い、我々の管理責任じゃよ。 さ、舞踏会に備えて着飾ってきなさい。あー、それと、ハクオロ殿は残るように」 今度こそお開きと思いきや、ハクオロだけ残るように言われ、ルイズは困惑した。 だがハクオロはそうではないらしく、残される心当たりがあるようだ。 「あの、ハクオロに何か?」 「何、たいした事ではない。ちょっと世間話でもしようかと思っての」 どうやらハクオロだけを残したいようだと察したルイズだが、 当のハクオロはそうなるつもりは無いらしい。 「何の話なのかは想像がつく。だが、ルイズもこの場に残して欲しい。 彼女は無関係ではないと……私は思う」 「ふむ……。ミス・ヴァリエール、どうするかね?」 キュルケとタバサ、それからコルベールも去り、 学院長室にはハクオロとルイズ、オスマンが残った。 オスマンは早速、取り返してもらった天照らすものを机の上に置く。 「報告では、ミス・ヴァリエールがこの腕輪の力を引き出したそうじゃな」 「ええ。土くれのフーケは、クスカミの腕輪を使えなかった。 なのにルイズには使う事ができた……その理由をご存知なら教えてもらいたい」 「クスカミ……とな?」 オスマンの双眸が細まり、ルイズもクスカミの腕輪という単語を奇妙に思い眉根を寄せる。 「……なぜか、この腕輪の起こした雷光を見ていたら、その名を思い出した」 「ほう。やはり、そうであったか」 「オールド・オスマン。クスカミの腕輪についてご存知の事を、すべて話して欲しい。 どこで手に入れたのか。誰から手に入れたのか。使い方は。 ルイズが使えてフーケに使えなかった理由は。この腕輪は私と何か関わりがあるのか」 「そんないっぺんに質問されてものー。とりあえず順番に話すとするか」 オールド・オスマンとクスカミの腕輪の出会いは約五十年ほどさかのぼる。 若き日のオスマンはある日、とある森でワイバーンと遭遇し襲われていた。 当事のオスマンにワイバーンを退けるだけの力は無く、殺されるのは時間の問題。 しかし突如、十本近くにも及ぶ数の巨大な雷光がワイバーンに降り注いだ。 その天を照らすが如き凄まじき威力と閃光にオスマンは驚愕した。 いったいどんなメイジがこんな魔法を。 しかし、その場に現れたのは、獣の耳と尾を持った亜人だった。 「――亜人?」 ハクオロの問いに、オスマンがうなずく。 「奇妙な亜人じゃった。亜人は人間と交流が無いとはいえ、ある程度は認知されておる。 じゃが、奇妙だったのはその娘の着ておった服。 我々人間の着る服とはまったく異なる装い、では亜人の装いか? そうではない。 少なくとも人間、亜人を含め、ハルケギニアに住む者の衣類ではなかったのじゃ。 私は考えた。この亜人の娘は、ハルケギニアの外、東方から来たのではないかと。 そして……その娘の着ていた服、男女の違いはあれど、お前さんの服とそっくりじゃった」 「では自分は東方の人間……?」 「しかしすぐ、その娘が東方の者であるという考えは否定された」 ――ここは、どこですか。なぜ、月がふたつあるんですか。 そう言って、娘は倒れた。ついさっきまで戦場にいたかのような重傷を負っていたのだ。 オスマンはすぐに彼女を学院に運び、手厚く看護したが。 「死んでしまった……と」 「うむ」 落胆するハクオロの言葉を、短く肯定するオスマン。 その瞳は憂いの色に満ちていた。今でも、その恩人の死を悼んでいるのだろう。 「クスカミの腕輪はその娘が持っていたのか」 「最初は先住魔法かと思ったのだじゃが、彼女は腕輪の力を解放しただけと答えてくれた。 オンカミヤリューでもない自分が術を使えるはずがないと苦笑しておったな」 「オンカミヤリュー?」 聞き覚えのある、しかし意味の思い出せない単語にハクオロは腕組をして頭を捻る。 「オンカミヤリューとは、恐らく彼女のいた世界でのメイジを差すものと私は考えておる」 「彼女のいた……世界? まさか、月が」 「勘がいいのう」 亜人の娘は、オスマンや学院の人々の服装や、何より耳や尻尾が無い事に驚いていた。 耳はあるにはあったが、毛が生えていないと驚かれた。 オンカミヤリューかと一瞬勘違いしたらしいが、 それでもあるべきものが無いためオンカミヤリューではないと判断されたらしい。 重傷で、助かるかどうか際どかった彼女は、オスマンにいくつかの事柄を言い残そうとした。 その中に結局オンカミヤリューとは何かというものは含まれていなかった。 「彼女は言った。自分はケナシコウルペという国の薬師だと。 その国には、いや、その国があった大陸には月がひとつしかなかったらしい いくら東方といえど、月が一個減るなどありえぬ話よ。 じゃから私は、彼女がいた国は、距離をという概念を越えた別世界だと考えた」 ――ここがどこかは解りません。けど、きっと私のいた國から遠く離れた所なのでしょう。 息も絶え絶えになりながら、彼女は懸命に遺言を伝えた。 己の主であるケナシコウルペ皇(ウォルォ)に、最期まで尽くせなかった事を詫びて欲しい。 大恩あるワーベ様に、この腕輪を与えてくれた事を今一度感謝したい。 同じ薬師として尊敬するトゥスクル様に、もう一度ご教授願いたかった。 ――そして、ハクオロ殿。 ――あのお方が何者であるかは解らない。しかしあのお方はこの戦を勝利に導く最後の希望。 ――ハクオロ殿から与えられた任務をこなせぬまま異境で果てる我が身を許して欲しい。 「そう、お前さんに与えたハクオロとは、その娘が言っておった名前じゃ」 オスマンに視線を向けられ、ハクオロは戸惑った。 話に入り込めずにいたルイズの混乱も、ここで一気に高まる。 「ですが、オールド・オスマン。なぜそのハクオロという名を、私の使い魔に?」 「ハクオロというその男は、顔半分を骨のような白い仮面で隠していたという」 「仮面……」 ルイズは改めてハクオロの仮面を見た。 確かに、あの白い仮面は綺麗に磨いた骨のように見えなくもない。 何かの生物? の、頭蓋骨を元に作ったと考えると、案外しっくりくる。 ハクオロは己の仮面を撫でながら、静かに息を吐いた。 「……しかし私はそのハクオロという男ではない」 「じゃろうな。彼女が死んだのは約五十年ほど昔の話じゃ。 その時、ハクオロという男が何歳だったかは知らぬが、生きていたら五十を越える。 お前さんはどう見ても二十から三十の間くらいにしか見えんのう。 しかし同じ『月がひとつ』の世界から来たであるお前さんに相応しい名は、 ワーベ、トゥスクル、ハクオロの三つの名しか知らぬ私にとって、ハクオロしかない」 「……その娘は、己の名は明かさなかったのですか?」 「…………」 ――ケナシコ……ウルペの王。ワーベ。トゥス……クル、ハクオロ。覚えたぞ。 ――そ、その方々に、私の、最期の言葉を、どうか。 ――うむ、伝えてみせるとも。いつかきっと、月がひとつの世界に行き、伝えるとも。 ――腕輪、は、お礼に上げる ――礼など、私は君に命を救われたんだ。しっかりしろ、気を強く持て。……死ぬなっ。 ――あり、がと。オスマン。 ――最後に教えてくれ。君の名前は? ――私、は………………。 ――聞こえない。……頼む、死なないでくれ。恩人の命も救えず、名も知れずでは……。 パクパクと、唇を動かす事しかできない亜人の娘。 オスマンは、彼女の手を握り、何とか言葉を聞き取ろうと口元に耳を近づける。 と。 娘は最後の力を振り絞って、オスマンの頬に、唇を。 驚いて飛び上がったオスマンが彼女の顔を見下ろすと、満足気に笑っていた。 死に顔は笑っていた。 「惚れると同時に逝きおった」 どこか遠くを見つめながら、オスマンは天照らすものを撫でる。 この老齢の男にも、そんな甘酸っぱい、しかし苦々しい過去があるのだと二人は知る。 「彼女を埋葬した私は、礼としてもらった腕輪を試してみた。 だが何をしようと腕輪は反応せず、ディテクトマジックも無意味じゃった。 しかし宝石の中で渦巻く蒼の奔流を見て、このアイテムはまだ生きていると確信した。 そこで私は『天照らすもの』と名づけて学院の宝物庫に封印したのじゃ」 「それでは……なぜルイズがクスカミの腕輪を使えたのかは、解らないと?」 「それはむしろ、腕輪の本当の名前を知るお前さんが知ってるはずの知識じゃ。 まあ記憶喪失じゃあ仕方ないがのー。ほっほっほっ」 楽しそうにオスマンは笑ったが、ハクオロは気難しい顔をしている。 自分の故郷だと思われる所の情報は得られたが、月の数が違う別世界などどう帰ればいい。 オスマンの言う通り、月の数が違って見える國など同じ世界にあるとは思えない。 月の数が違う、という現実を受け入れるならば、SF的な考えになるがここは別の星? しかし異星人というほど自分達が違った存在には見えない。 パラレルワールドだとか異世界だとか、そういった単語の方がしっくり来る。 「……考えれば考えるほどに解らなくなる」 ケナシコウルペの薬師という娘も、ここがどこであるか解らなかった。 ならば同じ世界から来たと思われる自分も、 記憶を取り戻そうがここがどこでどうすれば元の世界に帰れるのか解らないのではないか。 「まあ、解らん事は無理に考えん方がいい。 情報不足でどう考えても答えが出せぬだけだとしたら、無為に疲れるだけじゃ」 「……そうかもしれませんが……自分の場合、考える事で記憶が戻るかもしれませんし。 あるいは何かきっかけが……そう、クスカミの腕輪のようなきっかけが」 「クスカミ、か」 オスマンは水パイプで一服すると、クスカミの腕輪を持ち、ハクオロを手招きする。 「あの、何か?」 「平民で使い魔だから褒美をもらえないお前さんに、私から特別サービスじゃ」 と、オスマンはハクオロに、恩人の形見を手渡した。 先の話で、オスマンの恩人に対する思い入れは重々承知している。 だからその形見を渡すという行為は、如何なる意味を持つのか。 「これは私がもらった物だが、記憶の手がかりとして持っておくがよい」 「……いいんですか?」 「どうせ使い方も解らんし、いつかお前さんが元の世界に帰れた時、 せめて彼女の遺品だけでも……などとセンチメンタルなアイディアが浮かんでのう。 さあ、そろそろ行かんと舞踏会に遅れるぞ。行った行った」 ケナシコウルペという國と、その皇。 クスカミの腕輪の元々の持ち主らしいワーベという男。 薬師のトゥスクル。 白い仮面の男ハクオロ。 約五十年も昔の人物ではあるが、自分と何か関わりがないだろうか。 そう考え、月がひとつの世界の人々の名を心の中で反芻する。 ケナシコウルペの皇。ワーベ。トゥスクル。ハクオロ。 なぜだろう、そのすべてが、とても懐かしい。胸が、ざわめく。 特に、トゥスクルという名。 使役した事があるような、世話になった事があるような、 喪った事があるような、大切な何かに名づけたような、そんな不思議な名前。 「飲みすぎだぜ、相棒」 フリッグの舞踏会はアルヴィーズの食堂の上の階のホールで行われた。 陳列された料理の数々に舌鼓という気分ではなかったハクオロは、 一人宴の席を外れ、バルコニーで月見酒を飲んでいた。 「デルフ。私は、何者なのだろうか……」 「……さあねえ」 柵に立てかけられたデルフを相手に、ハクオロはワインを不味そうに飲む。 今宵の宴に出されたワインは年代物の高級品だが、気分の問題で味は変わる。 「あの爺さんの話は俺も聞いてたけど、正直チンプンカンプンだわ。 ケナ……何とかやら、トゥススルだとか、変な名前ばかり出てきやがるし」 「ケナシコウルペとトゥスクルだ」 「あー、そうだっけ? それからあれだ」 「ワーベか?」 「クスカミ。雷を出す腕輪が、何でクスカミって名前なんだ?」 「確か……水の神の名前だったはずだ。 火はヒムカミ、水はクスカミ、風はフムカミ、土はテヌカミ」 「相棒のいた世界の四大系統って訳か」 「ああ。フーケを捕らえた後、気がついたら自然と思い出せていた。 多分クスカミの腕輪を見たのがきっかけになったのだろう」 「しかし水の神の力で雷たぁ、変わってるな。こっちじゃ風系統の力のはずだ」 「いや、そもそも雲は水蒸気の集まったもので、雷雲は高空で凍った水滴などが、 上昇気流にあおられて摩擦される事で静電気を生じ……」 「悪ィ。相棒が何言ってんのかさっぱり解らねーや」 「そうか……。まあ風と水の両方が必要なのは間違いないな」 懐からクスカミの腕輪を取り出したハクオロは、宝石の中で蒼く渦巻く光を見る。 自分はこの腕輪を知っているようだが、原理はさっぱり解らない。 少なくとも科学的な技術で作られたものではない。 恐らく、元の世界でメイジに相当するオンカミヤリューが術を使って作ったのだろう。 だとするとワーベとはオンカミヤリューだという事か。 (ワーベ……オンカミヤリュー……ワーベ……賢大僧正(オルヤンクル)……ウ、ウル……) 「ウルトラマン?」 「いきなり何を言ってんだ相棒?」 「いや、何でもない」 ハクオロはグラスに残っていたワインを一気にあおると、 新しいワインの瓶を開け、空になったグラスをなみなみと赤く染め直す。 (赤い……赤、血、血……? 吸血……蚊? ……カ、カ……ミ、……カ……ユ……) 「かゆみ。……いや、違うな。むしろ……ムーミン……? ムーミンッ!」 これだ、とばかりに握り拳を掲げるハクオロ。明らかに酔っ払いである。 「何意味不明な事を月に向かって吼えてんのよ」 プスッ。後頭部に何かが刺さった。 「アイダッ!」 ワインをこぼし、涙目になりつつ振り向くハクオロ。 そこには白いパーティードレスに身を包んだ、可憐な美少女姿のルイズがあった。 ただし右手にはフォーク。 「またそれか!」 「な、何よ。こんな所でいじいじ飲んでる方が悪いのよ。……せっかく着飾ってきたのに」 最初は凶器に目が行ったハクオロだが、改めて見直してみれば、 なるほどルイズのドレス姿は清楚で可憐で美麗でと褒め言葉がいくつも浮かぶ。 しかし。 「フォークのせいで台無しだな」 「アンッ!?」 ルイズのガン飛ばし。 「いえ、何でもないです」 効果は抜群だ。 「しかし、よく似合っている。それならダンスの相手にも困らないだろう」 「相手なんていないわ」 場の空気をなごませようと言ったが、ルイズはぶっきらぼうに切り返してきた。 もしかして、馬車の上で頬をはたいた事をまだ怒っているのだろうか。 「だから、踊って上げても、よくってよ」 「……はい?」 いきなり想定外の発言。 仮面の下で目を丸くするハクオロと、顔を真っ赤にしながら手を差し出すルイズ。 しばし、沈黙が流れ、ハクオロはルイズの手を取った。 「私のような素性の知れぬ者が相手でよろしければ」 「素性なら知ってるわよ。あんたは、私の使い魔でしょ」 二人は一緒にホールへと向かい、ダンスの輪に加わる。 武芸の心得はあるらしいハクオロだが、ダンスの心得は無いらしく、 ぎこちない踊りになってしまったものの、 ルイズがうまくリードしてくれたおかげで何とか形にはなっていた。 「ねえ、ハクオロ。……あの、ごめんね」 「ん? 何がだ?」 「馬車で叩かれた時、私、謝れなかったから」 「自分も、叩いたりして悪かった」 「あんたはあの後すぐ、謝ったじゃない。だからいいのよ」 「そうか」 二人は踊る。夜空に浮かぶ双月のように寄り添って。 しかしいつか別れが来る。 ハクオロが、月がひとつしかない世界から来たのなら。 ホールで踊る双月も、いつかひとつに欠けてしまうのではないか。 そんな不安を、ルイズは胸の奥の扉にしまって、鍵をかける。 前のページへ / 一覧へ戻る / 次のページへ
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 深い霧に包まれたラ・ロシェールの街は、未だ日も出ぬ時間から多くの人たちが出入りしていた。 狭い山道を挟むようにして作られた総人口およそ三百人程度の小さな町に、立派な装備を身にまとった王軍の貴族たちが入っていく。 彼らは皆馬や使い魔であろう幻獣に跨り、その後をついていくかのように護衛の騎士達が町の入口であるアーチをくぐっていく。 『ラ・ロシェール!小さなアルビオンの玄関へようこそ!』 風雨に晒され殆ど読めなくなったアーチの看板には、そう書かれていた。 そのアーチをくぐって街の中へ入っていくトリステイン王軍の将校達とは反対に、街の中から平民達が身軽な格好で出ていこうとしている。 老若男女な彼らの大半は私服姿で何も持っておらず、中には軽い手荷物をもった者がチラホラといるだけだ。 一時間前に突如王軍が街へと入ってきて、町に住む者達全員に避難命令が出されたものの、その詳細をしる者は誰一人としていない。 ある家族は足腰の弱った祖父や祖母の肩を担ぎ、またある乳飲み子はぐずって母親を困らせている。 「一体どうなってやがるんだ?こんな朝っぱらから避難命令だなんて…」 「だな。貴族様の考える事はようわからんさ」 何人かの平民は道の真ん中を堂々と行く王軍の将校や騎士たちを横目で見ながら、小声でボソボソと愚痴を呟いている。 最も、それは町に居を構えている貴族たちも同じであり、横暴な王軍に対しての不満を口にしている。 無論王軍貴族達の耳には入っていないであろうが、今彼らの耳に聞こえてたとしても無視していたに違いない。 彼らは皆、これからラ・ロシェール上空に現れるであろう゛敵゛を待ち構えなければいけないからだ。 ラ・ロシェールから少し離れた所にある広大な、草原地帯。 普段は近隣にあるタルブ村から放牧された牛や羊たちが草を食んでいるであろう場所。 その上空には今、旧式艦の多いトリステイン軍の艦隊と神聖アルビオン共和国の精鋭艦隊が両者向かい合う形で浮遊している。 両艦隊とも距離を取るような形で待機し、トリステインがアルビオンを、アルビオンがトリステインの艦隊を監視していた。 霧のせいでラ・ロシェールからはその光景を見ることはできず、町の人々は何も知らされずに出ていこうとしている。 自分たちのすぐ傍で、今正に撃ち合いを始めるかもしれない艦隊を尻目に自国の王軍への愚痴を漏らしながら…。 ラ・ロシェールの中心部。そこに建てられている、町の中では一際グレードの高い高級ホテル。 貴族専用のその宿泊施設はつい先ほど軍が接収したばかりで、今は臨時の王軍司令部として使われようとしている。 今はシーズンオフという事もあってか宿泊していた貴族も一、二人と少なく、支配人や従業員達と共に避難している最中であった。 その元ホテルのロビーに数人の将校と共に入ってきたド・ポワチエ大佐が、地図を持ってきた騎士に声を掛けた。 「どうだ艦隊の状況は?」 「はっ!現在我がトリステイン艦隊が、アルビオン艦隊と接触したとの事です!」 騎士はテキパキとして口調でそう言うとロビーの真ん中に犯されたテーブルの上に、持っていた地図を勢いよく広げる。 タルブ村を含むラ・ロシェール周辺の細かい地図は、これから行うであろう゛戦゛を円滑に進める為のゲームボードであった。 その証拠に、別の方から小さな小箱を抱えてやってきた騎士が箱の中から艦船のミニチュアを取り出し、地図の上に置いていく。 ポワチエ大佐から見てタルブ側の方には青色、海側は赤色のミニチュアがコトリ、コトリと音を立てて配置される。 「タルブ側が我が軍の艦隊。そして海側は、レコン・キスタの゛親善訪問゛の大使を乗せた艦隊か」 同僚であり同じ大佐の階級を持つウインプフェンが、神経質な性格が見える顔で地図を睨んでいる。 ポワチエは彼の言葉に軽く頷くと、地図をテーブルに置いた騎士に「地上の゛演習部隊゛はどうなっている?」と訊ねた。 「はっ!現在ラ・ロシェール郊外で待機している゛演習部隊゛は準備完了し、艦隊からの合図を待っているとの事です!」 「そうか。…あくまでも今回の作戦はアルビオン軍艦隊の動きで状況が左右する。下手に動く事はするなと伝令を送っておけ」 その命令に騎士はハッ!と敬礼した後、ホテルの出入り口で待機している伝令を呼びつける。 伝令が駆け付ける様子をポワチエの後ろから見ていたウインプフェンがふん、と軽く鼻で笑った。 「たかが平民と魔法も録に使えぬ下級貴族だけの国軍に、重要な仕事を任せるのはいささか可哀想だと思わないか?」 「そう言うなウインプフェン。奴らとてあのゲルマニアから玩具を貰って、撃ちたくて仕方がないに違いない」 傲慢さを隠さぬ同僚の言葉にポワチエもまた、地図上の森林地帯を見てそう言った。 彼の顔にはウインプフェン同様、そこで待機している国軍に対しての軽蔑の笑みが浮かんでいる。 作戦が予定通りに進めば、国軍は先頭を切ってアルビオンの艦隊に奇襲を仕掛けて奴らの意表を突いてくれることだろう。 その後は自分たち王軍と艦隊が攻撃を受けて指揮が乱れた敵を一網打尽にすれば、全ては丸く収まる。 (無論手柄は、作戦の指揮を任された俺が優先的に受ける…よし、完璧だな) ポワチエは頭の中で今回の作戦のおおまかな流れを反芻していると、自然頬が綻んでしまう。 しかし、それが取らぬ狸の皮算用でもあると理解しているおかげで、すぐに頭を振って甘い考えを振り払った。 (…とはいえ、それは相手が動いた場合の事だ。俺が奴らなら、事を起こすような真似はしないが…) とにかく今は不可視の手柄よりも、目の前に見える作戦の指揮をどう取るのか考えるべきか。 そう判断した彼は、隣で今後の事について話し合っているウインプフェン達将校の話に加わろうとした…その時であった。 ホテルの外から突如として ドン! ドン! ドン! と凄まじい大砲の音が聞こえてきたのである。 その後に続くようにしてビリビリと建物ごと空気が揺れたかのような気配を感じたポワチエは、天井を見上げてしまう。 恐らく音の正体は、ここまで迎えに来てくれたであろうトリステイン艦隊を謝すためのアルビオン艦隊からの礼砲だろう。無論、弾は込められていない。 大砲に込められた火薬を爆発させただけの空砲であるが、音はともかく振動すら地上にいる王軍の身にも届いていた。 「今のは礼砲か?…にしてはやけに大きな音だったぞ」 ポワチエの疑問に、ずれたメガネを人差し指で直しながらウインプフェンが答えた。 「きっと敵の旗艦レキシントン号の空砲なのだろうが…確かに、聞いたことも無い程大きかったな」 彼の言葉にポワチエも思わず頷いてしまう。街から艦隊のある草原まで近いとはいえ、このホテルの中にまで大音量で響いてきたのだ。 相手のすぐ傍にいるであろうトリステイン艦隊の者たちは、さぞや船の上で後ずさったものであろう。 自軍の旗艦である『メルカトール』号に乗船しているであろう、司令長官のラ・ラメー侯爵の顔を思い出そうとした時であった。 先ほどの礼砲よりも音は小さいが、砲撃と分かる音が将校達の耳に入ってきた。 聞き覚えのある『メルカトール』号の砲撃音に、ポワチエはすぐに礼砲に対する答砲だと察した。 四発目、五発目、六発目…と答砲は続いたのだが、どうしたことか七発目で『メルカトール』号の砲撃音がピタリと止んでしまう。 「答砲が七発だけ?相手が大使を任された貴族なら十一発の筈だが…」 一人の将校が七発で終わった答砲に首を傾げると、何かを察したであろうウインプフェンが鼻で笑った。 「全く。ラ・ラメー侯爵もあのお年で良く意地を張れるものだ」 彼の言葉に他の将校達も『メルカトール』号に乗った司令官の意思を察して、軽く笑い出す。 トリステインと比べ、何もかも格上であるアルビオンの艦隊に負けるつもりはないという意思の表れなのだろう。 それを答砲でもって表明したであろう我が軍の司令長官は、なんとまぁ意地の強い男だろうか。 ポワチエもそんな彼らにつられて顔に笑みを作り、周りにいた騎士たちも心なしか笑顔になってしまう。 緊張した空気が張りつめつつあったロビーにほんのちょっと明るい雰囲気が入り込もうとした…その矢先であった。 入り口からドタドタと喧しい足音が聞こえ、その音の主であろう斥候が息せき切ってポワチエ達将校のいるロビーへと駆け込んできたのだ。 突然の事にロビーにいた全員が駆け付けた斥候へと視線を向けてしまう。 何事かと将校の誰かが言おうとする前に斥候はその場で片膝立ちとなり、ロビーに響き渡る程の大声で叫んだ。 「で、伝令!たった今、アルビオン艦隊の最後尾にいた小型艦一隻が…炎上しましたッ!」 「なんだ?どうした、事故か!?」 トリステイン軍艦隊旗艦『メルカトール』号の艦長であるフェヴィスが、信じられないという顔でアルビオン艦隊の最後尾を見つめていた。 隣にいるラ・ラメー侯爵も彼と同じ方向に視線を向け、炎上し始めた相手の小型艦を見ている。 甲板にいる水兵や士官たちもみな同様にそちらへと目を向けて、何が起こったのか理解しようとしていた。 遥か後方、アルビオン艦隊の最後尾で炎上しながら墜落する『ホバート』号。霧の中でもその甲板から立ち上る炎は見えている。 恐らく艦内に積まれていた火薬に火が回ったのだろう。甲板の火はあっという間に小さな艦艇を包み込むように燃え広がり、次の瞬間には空中爆発を起こした。 炎に包まれた『ホバート』号の残骸がゆっくりと草原へと落ちていく様は、とても現実の光景とは思えなかった。 突拍子無く炎に包まれ、そして呆気なく爆散した小型艦を見て『メルカトール』号の甲板にいた者たちは慌ててしまう。 「諸君落ち着け!我が軍の艦艇が爆散したワケではないぞ!!」 広がろうとしている動揺を抑えようと、ラ・ラメー侯爵が甲板にいる士官たちを叱咤する。 それで全員が落ち着いたワケではないが、実戦経験のある司令長官にそう言われた何人かの士官が落ち着きを取り戻した。 「手旗手はアルビオン艦隊へ状況説明を求めろ!各員はそのまま待機…手旗手、急げ!」 久しぶりに叫んだ所為か、ヒリヒリと痛み出した喉に鞭を打ちながら士官たちに指示を出した後、フェヴィス艦長が話しかけてきた。 「侯爵、今のは一体…」 「ワシにも分からん。恐らくは内部で何かトラブルが起こったとしか…」 艦長の疑問に率直な気持ちでそう返した時、望遠鏡でアルビオン艦隊を見つめていた水兵が「『レキシントン』号から手旗信号!」と叫んだ。 その水兵の口から語られたアルビオン艦隊からのメッセージは、彼らの予想を斜め上に逸れるモノであった。 「『レキシントン』号艦長ヨリ。トリステイン艦隊旗艦。『ホバート』号ヲ撃沈セシ、貴艦ノ砲撃ノ意図ヲ説明…セシ」 水兵は信じられないという目で望遠鏡を覗いてメッセージを読み終え、それを聞いていたラ・ラメー侯爵達も同じような表情を浮かべた。 撃沈?砲撃?…一体相手は何を言っている?あの船に乗っている連中は何も見ていなかったのか? 「奴らは寝ぼけているのか?どう見てもあの小型艦は勝手に燃えて、勝手に爆発したではないか…」 目を丸くしたフェヴィス艦長がそう言って『レキシントン』号へと視線を向け、ラ・ラメー侯爵は明らかに怒った口調で手旗手に命令を出す。 「手旗手!!返信しろッ!『本艦ノ射撃ハ答砲ナリ。実弾ニアラズ』だ、早くしろッ!」 司令長官からの命令で動揺が治っていない手旗手が慌てて言うとおりの信号を出すと、すぐさま返信が届いた。 その返信を望遠鏡で見ていた水兵は、今度はその顔を真っ青にさせながら読み上げる。 「た…タダイマノ砲撃ハ空砲ニアラズ。我ハ、貴艦ノ攻撃ニ対シ応戦セントス」 水兵が読み終えたところで、アルビオン艦隊が一斉に動き出し始めた。 先頭にいた『レキシントン』号が右九十度の回頭を行い、右側面に取り付けられたカノン砲を突き付けようとしている。 相手がこれから何をしようとしているのか、それは平民の子供にも分かる事であった。 「…ッ!?来るぞッ!取舵一杯!急げッ!!」 フェヴィス艦長が操舵手に命令を飛ばすと、空中で止まっていた『メルカトール』号が息を吹き返したかのように動き出す。 左の方へ回頭する『メルカトール』号へ向けて、一足先に準備を終えた『レキシントン』号が一斉射撃を行った。 しかし、この時回避行動を取ったことが幸いしたのか、砲弾は『メルカトール』号には着弾どころか掠りもしなかった。 『レキシントン』号から発射された砲弾はラ・ラメー侯爵達の遥か頭上を通り過ぎ、その内一発が『メルカトール』号の後ろにいた中型艦に着弾する。 木製の甲板が耳障りな音を立てて派手に割れ、飛び散った破片が周囲にいた水兵や士官たちへ容赦なく突き刺さる。 砲弾は勢いをそのままに船体を貫通して草原へと落ちていき、大穴の空いてバランスを失った中型艦が船首を下へと向けて落ち始めた。 「あそこまで届くのか…ッ!?」 後ろにいた僚艦が着弾から沈みゆく様を見ていたフェヴィスが、『レキシントン』号から撃たれた砲弾の威力に思わず目を見張ってしまう。 この霧のおかげもあるだろうが、もしも回避行動を取っていなかったら今頃『メルカトール』号がああなっていたかもしれない。 中型艦の乗組員たちが一人でも多く脱出できる事を祈りながら、フェヴィス艦長は相手の旗艦が恐ろしい化け物艦だとここで理解する。 そんな時であった、今まで黙っていたラ・ラメー侯爵が自分が乗船している艦と反対方向へと進み始めた『レキシントン』号を見て呟いた。 「艦長…どうやら奴らは我々と不可侵条約を結ぶ気など一サントも無かったらしい」 …そりゃそうでしょうな。侯爵から投げかけられた言葉に艦長は軽くうなずきながらそう言った。 何せ相手は自分たちの国へスパイを堂々と送り込んだうえで、仲良くしましょうと不可侵条約を持ちかけてきたのである。 更に追い打ちといわんばかりに、この出迎えの時に自分たちに無実の罪をなすりつけて攻撃を仕掛けてくるときた。 「恐らくは、我々トリステイン人を小国の者だからと侮っているのでしょうな」 艦長のその言葉に、侯爵は満足げな…それでいて静かな怒りを湛えた表情で頷いた。 「成程。真っ向勝負なら我々に勝てると算段を踏んで、こんなふざけた計略まで用意してくれたという事か」 そう言うと彼は自分たちの乗る艦と反対方向へと進んでいく『レキシントン』号を見やりながら、各員に命令を出した。 「全艦隊砲撃戦用意!曹長、地上の゛演習部隊゛に合図!!手旗手は黒板で敵旗艦にメッセージを伝えろ!」 艦隊司令長官からの命令にすぐさま各員が動き始め、手旗手がメッセージはどうするかと聞いてくる。 それを聞きたかったかのような笑みを浮かべたラ・ラメー侯爵は、得意気にメッセージを教えた。 「まさか、寸でのところで不意の一発を避けられるとは…」 アルビオン艦隊旗艦『レキシントン』号の甲板から望遠鏡を覗くボーウッド艦長は、残念そうな口調でそう呟いた。 仕留め損ねた敵の旗艦はこちらとは反対方向へ進んでおり、既に大砲の射程範囲内からは逃れられてしまっている。 後方にいたトリステイン軍艦隊も迅速な動きで旗艦の後に続き、こちらに対しての敵意を露わにしていた。 望遠鏡で除く限りには甲板上の敵は多少動揺しているものの、旗艦からの命令にしたがって攻撃用意を手早く済ませている。 それに対して、王政府打倒の際に多数の士官、将校を粛清された旧『ロイヤル・ソヴリン号』―――現『レキシントン』号の甲板には動揺が広がっている。 貴族派の連中が掻き集めたであろう水兵たちは、奇襲が失敗してトリステイン軍艦隊が動きだした事に慌てふためいていた。 本来ならそれを抑えるべき士官たちの大半も、部下たちの影響を諸に受けてしまって止めようのない事態になりかけている。 旧王軍の頃からいる士官たちは何とか統制を取り戻そうとしているが、時間が掛かる事は間違いないであろう。 だがその中でも、慌てすぎて錯乱の境地に達したであろう男がボーウッド艦長の隣にいた。 「えぇぃっ!!これは一体全体どうした事なのだ!我が艦の砲術士長は居眠りでもしておったのか!?」 この艦の司令長官であるサー・ジョンストンが、頭に被っていた帽子を甲板に叩きつけながら喚いている。 彼は今回計画されていた゛親善訪問゛―――否、トリステイン侵攻軍の全般指揮も一任されている貴族だ。 元来政治家である彼はクロムウェルからの信任も厚く、そのおかげで今回の件も任されたのである。 しかしボーウッド自身はどうにも、軍人でもない癖に司令長官の椅子に座っているこの男の事が気に入らなかった。 さらに言えば、元々王党派であった彼は軍人としてはともかく、個人としてこの゛親善訪問゛を装った攻撃には不快感さえ感じている。 (クロムウェルの腰ぎんちゃくめ…、司令長官の貴様が落ち着かねば兵たちも慌てたままなのだぞ) 彼は口の中でそう呟きながら粛清から逃れた士官に命令を飛ばそうとしたが、その前にジョンストンが噛みついてきた。 「艦長!何を悠々と艦を進ませておる!『メルカトール』号がもっと離れる前に新型の砲で叩き潰さぬかッ!!」 「サー、いくら新型の大砲と言えどこの距離を移動しながら攻撃するのは、砲弾の無駄というものです」 狂った野犬の如く喚きたてる司令長官の提案に、ボーウッドは至極冷静な態度でそう返す。 この男のペースに巻き込まれていたらまともに戦えん。それが今のボーウッドが下した、ジョンストンへの対応であった。 甲板では兵たちが慌てふためき、司令長官はごらんの有様…これで一体どう戦おうというのか。 「ひとまずは敵艦隊と一定の距離をとって、しかる後こちらの新型砲の強みを生かして各個撃破という形が最善ですが…」 ボーウッドは錯乱する司令官を落ち着かせようと、頭の中で練っていた即席の作戦を話そうとする。 しかし、そんな彼の落ち着いた態度が気に入らなかったのか、ジョンストンは「知るかそんなモノ!」と一蹴してしまう。 「そんな手間暇を掛けていたらトリステイン本国に我々の事が知れ渡るぞっ!?いいか、艦長! 私は閣下から預かった大事な兵を、トリステインに下ろさねばならんのだ!もしも時間を掛けて敵艦隊と戦っていたら… 報せを受けたトリステイン軍が地上軍を派遣して、我が軍の兵たちが地上に下り次第狩られてしまうではないか!!」 ジョンストンの甲高い、それでいて長ったらしい声でのご説教に流石のボーウッドも顔を顰めてしまう。 いっその事殴って黙らせた方が良いか?そんな物騒な事を考えていた時、二人の後ろから男の声が聞こえてきた。 「ご安心を、司令長官殿。貴方が思っているほどに、トリステイン軍の対応は速くはありませんよ」 この艦の上でボーウッド以上に冷静で落ち着き払った声に、彼とジョンストンは思わず後ろを振り返る。 そこにいたのは、金糸で縫われたグリフォンの刺繍が眩しいマントを身に着けたワルド子爵であった。 彼は名ばかりの司令長官であるジョンストンに代わり、アルビオン軍が上陸した際の全般指揮をクロムウェルから委任されている。 トリステイン人であり、魔法衛士隊のグリフォン隊隊長を務めていたという経歴も手伝ったのであろう。 異国人でありながら今のアルビオンの指導者に認められた彼の顔は、相当な自信で輝いて見えた。 「いくら数と質で劣るからと、トリステイン軍艦隊は貴方が思う程甘くはありません。 けれど奇襲を紙一重で避ける事が出来たとはいえ、アルビオン軍艦隊なら赤子の手を捻るよりも簡単に叩き潰せます」 ワルドが物わかりの悪い生徒を諭す教師の様な口調でしゃべっている合間にも、時は止まってくれない。 かなり距離を取ったトリステイン軍艦隊から威嚇射撃の砲声が響き渡り、それがジョンストンの身を竦ませる。 ボーウッドとワルドの二人も敵艦隊の方を一瞥し、射程範囲外だと理解してから説明を再開させた。 「仮にトリステイン軍艦隊が伝令を出したとしても、王軍がここへ辿り着くのにはどんなに急いでも数日は掛かるでしょう。 ラ・ロシェールや近隣の村を収める領主の軍隊などは論外、アルビオンの竜騎士隊だけでも潰せる数です」 トリステイン軍に属していた事もあってか、ワルドの説明を聞いてジョンストンも徐々に納得し始める。 しかし何か気にかかっていることでもあるのだろうか、ジョンスントンはワルドの話に頷きながらも「だが、しかし…」と何か言いたそうな表情を浮かべた。 だがワルド本人はそれを聞く気は全くないのか、貴方の言いたい事は分かります…とでも言いたげに肩を叩きながら話を続けていく。 「とにかく、ボーウッド艦長の考えている通りに戦っても我々には何の支障もありません。 今日中にトリステイン軍艦隊を壊滅させて、ラ・ロシェールに地上軍を上陸させる。たった二つだけです その二つをこなすだけで貴方はクロムウェル閣下から勲章を授かり、新しい歴史の一ページにその名を残せるのですよ?」 ゛クロムウェル閣下からの勲章゛と゛歴史に名を残せる゛という言葉を聞いて、ようやくジョンストンの顔に笑みが戻ってきた。 それでも未だに引き攣っているせいでどこか不気味な笑みとなっているが、気分が晴れてくれればこの際どうでも良い。 ワルドはそんな事を思いながら、戦場で無様な姿を見せる政治家の耳に甘言を囁いたのである。 「そ、そうか…そうなのか?」 今の状況で安らぎが欲しいジョンストンとは、縋るような声で耳触りのいい言葉を喋るワルドの両手を握った。 冷や汗塗れの冷たくて不快な手に握られた感情を顔に出さず、ワルドは「えぇ、そうですとも」と答える。 「ですから、今は長官室に戻って落ち着かれてはどうでしょうか?何ならエールの一口でも飲んで―――――」 ほろ酔い気分になってみては?…そこまで言う前に、『レキシントン』号の手旗手が「『メルカトール』号からメッセージです!」と叫んだ。 ボーウッドが誰からだ!と聞くとと手旗手は「黒板での伝言!トリステイン軍艦隊司令長官のラ・ラメー侯爵からです!」と答える。 「ほう、ラ・ラメー侯爵ですか。実戦経験のあるお方で、素晴らしい人ですよ」 「その素晴らしい人の命も後僅かだがな…で、メッセージは何と書かれてある!!」 懐かしい名前を耳にしたワルドが感慨深げにそういうのを余所に、ボーウッドは手旗手に聞く。 望遠鏡を覗く手旗手は時間にして約二秒ほど時間を置いて、『メルカトール』号からのメッセージを読み上げた。 「トリステイン王国ヲ舐メルナヨ。一隻残ラズ、空ノ木屑ニシテクレルワ。コノエール中毒者共」 手旗手が双眼鏡越しにメッセージを読み終えた直後、距離を取られた『メルカトール』号の甲板から照明弾が三つ上がった。 打ち上げ花火用の筒から発射されたソレは霧の中では眩しく見え、『レキシントン』号にいる者たちの目にもハッキリと見えている。 照明弾は一定の高さまで昇ってから、緩やかな弧を描いて地上へと落ちていき、やがて光を失って消滅していった。 『レキシントン』号や他のアルビオン軍艦隊の水兵たちは、その儚い光に何か何かと目を奪われてしまっていた。 ようやく落ち着きを取り戻した士官の貴族たちは、「持ち場へ戻るんだ!」と杖を振り回しながら叫びだす。 その様子を耳で聞いているボーウッドは、唐突な照明弾に怪訝な表情を浮かべておりジョンストンも似たような顔になっている。 ただ一人、ワルドだけは先程の照明弾と手旗手から伝えられたメッセージに関係があるのではないかと察していた。 今アルビオン軍艦隊が進んでいる先の地上にはラ・ロシェール郊外の森林地帯が広がっている。 霧は出ていものの照明弾の光は思った以上に眩しかったから、地上でも視認しようと思えば出来るはずだ。 (地上に向けて落ちていった照明弾…それに先ほどのメッセージと前方に見える森林地帯―――――――…まさかッ!?) ワルドが何かに感づいた同時に、同じ事を予感したであろうボーウッドが目を見開いて叫んだ。 「各員何かに掴まれ!!敵の攻撃は下から来るぞッ!!」 ボーウッドが叫び、ワルドと共にその場で姿勢を低くした瞬間―――――― 艦隊の進む先に見える森から先程の照明弾以上に眩い光りが発生し…直後、凄まじい砲撃音が地上から響き渡った。 それと同時に森の中から計二十発近い砲弾が発射され、アルビオン軍艦隊はその砲弾と鉢合わせする事となってしまう。 地上からかなり離れているにも関わらず打ち上げられた砲弾の内一発が小型艦の船底を貫き、その先にあった風石貯蔵庫を瞬時に破壊する。 別の中型艦は火薬庫に一発直撃を喰らい、かなりのスピードを出したまま炎上し、船員たちが脱出する間もなく空中爆発を起こした。 先ほど自作自演で潰した『ホバート』号よりも派手な爆発な起こした僚艦を見て、ボーウッドは思わず冷や汗を掻いた。 彼の記憶の中では少なくともこの高度まで砲弾を飛ばせる大砲など、トリステイン軍は所有していなかった筈である。 一体どうして…ボーウッドはそこで頭に貼り付こうとした余計な疑問を振り払い、優先すべき別の疑問を思い浮かべた。 (イヤ!今はそんな事を考えている場合ではない。問題はたったの一つ…トリステイン軍は最初から我々を待ち伏せていたという事だ) 彼は苦虫を噛んでしまったかのような表情を浮かべながら腰を上げて、周囲を見回してみる。 先程の砲撃で一隻失い、更に被弾した小型艦も甲板から凄まじい炎を上げて船首を地面へ向けて落ちようとしている。 何人かの水兵や士官が耐えかねて船から飛び降りているが、いくらメイジといえどもこの高さから落ちれば『フライ』や『レビテーション』の詠唱もままならず、地面の染みと化すだろう。 良く見るとその艦の操舵手は何とか不時着させようとしているのか、煙を吸わないよう右手で口を押さえながら左手で舵を取っていた。 彼のこの先の運命を予見したボーウッドは、あの操舵手に始祖ブリミルの祝福あれと心の中で祈るほかなかった。 そうして燃え上がる小型艦が艦隊から脱落したのを見届けてから、隣にいたワルドに話しかける。 「子爵。どうやら君が思っていたほど、トリステインは甘くは無かったらしい」 地上からの砲撃が止み、事態を把握した『レキシントン』号のクルー達を見ながらポーウッドは言った。 水兵たちは地上から攻撃されたと知って再び慌てふためいている。 その様子をボーウッドの後ろから眺めていたワルドは参ったと言いたげな微笑を浮かべながら「そのようでしたな」と返した。 少なくともその口調からは、自分の予想が外れていた事に対する罪悪感は感じていないらしい。 士官や水兵たちが右へ左へ走り回るその光景を目にしながら、ワルドはポツリと呟く。 「しかし、参りましたな。敵を罠にはめたつもりが、我々がそっくりそのまま逆の立場になってしまうとは」 「あぁ、全くだ」 子爵の言葉に相槌を打ちつつ、しかし始まった以上には勝たねばならない。と付け加えた。 軍人である今のボーウッドにできることは、『レキシントン』号の艦長として空と陸に陣取ったトリステイン軍をできるだけ速やかに叩く事だけだ。 幸い敵艦隊を不意打ちで壊滅させた後、降ろすはずであった地上軍を乗せた船は未だ健在である。 先程の地上からの砲火で敵の大体の位置は分かる筈だろう。ならばそこを優先的に攻撃して制圧する必要がある。 「トリステイン軍艦隊は質と量の差で真っ向勝負は仕掛けて来ない筈。それならば、今は敵地上勢力を叩く事に専念できる。 子爵くん、早速だが君には竜騎士隊を率いて先ほど砲弾が飛んできた森林地帯を重点的に攻撃してくれないかね?」 ボーウッドからの命令に、ワルドは得意気な笑みを浮かべた。 流石根っからの軍人、対応が御早い。彼はそう思いながらもその場で敬礼をして言った。 「…分かりました、地上の掃除は私とアルビオン軍の竜騎士達にお任せを」 この船の中では数少ない物わかりの良い相手からの返事に、ボーウッドも満足そうに頷く。 そんな時であった、今まで二人の視界から消えていたジョンストンが頭を抱えて嘆き出したのは。 「あ、あぁ!あぁ!何という事だッ!よもや、トリステイン軍が地上軍を派遣していたなんて!!!」 ついさっき甲板に叩きつけた自分の帽子を両手で抱えるように持った彼は、涙を流して何事か叫んでいる。 その叫び声が騒乱に包まれた甲板の上でもハッキリ聞こえたボーウッドとワルドは、ついそちらの方へ目を向けてしまう。 まるで丸まったハムスターの様に蹲るジョンストンは、もう脇目も振らずに泣きわめき、叫び続けている。 本当なら一瞥しただけで無視してやっても良かったが、彼の口から叫びと混じって出てきたのは…ある種゛懺悔゛に近いモノであった。 「か…閣下!クロムウェル閣下!?だからっ、だから私は反対したのですよ!?トリステインへの奇襲攻撃など…!! トリステインの内通者がバレて、更にスパイの存在も知られて…なぜ奴らがそれでも条約を守りたいとお思いになられるのですか!?」 トリステインの内通者?スパイ?…一体何の話だ? ボーウッドとワルドはお飾り司令長官の口から出た単語に、思わず互いの顔を見合ってしまう。 実はトリスタニアで露見された内通者やスパイの件は、ボーウッドの様な将校や外国人であるワルドの耳には入ってきてなかったのである スパイを送り込んだ事そのものを評議会は隠蔽し、こうしてジョンストンの口から語られるまで彼ら以外の者には知らされていなかったのだ。 だがそんな二人にも、ジョンストンの叫んでいる内容そのものが、トリステイン軍が待ち伏せを行う切欠になったのだと、察する事はできた。 でなければ敵軍が地上に砲撃部隊を配置していたという事に対して、こんなに取り乱す筈はないであろう。 「私の提案の様に…奇襲を諦め、長期的なコネ作りに励んでいれば…全ては上手くいっていた!! トリステインは確実に手に入れる事ができた…というのに!だというのに…こんな事になってしまった! 閣下!こ、この責任は貴方の責任なのですよ…!!?決して、これは私のミスではありませんぞ……!!」 一人泣きながら演説の様に叫び続けるジョンストンを、二人はただ黙って見つめていた。 このまま放っておいてもいいのだが、今は一分一秒を争う状況なのだ。これ以上下手な事を叫ばれて兵たちに聞かれては不味いことになる。 自分に黙って水面下で行われていた事については確かに気にはなるが、今はそれに専念する程の余裕は無い。 ボーウッドが目だけをワルドの方へ動かすと、艦長の言いたい事を察した彼が腰に差しているレイピア型の杖をスッと抜いた。 …静かにさせますか?クロムウェルから新しく貰ったソレをジョンストンへ向けたワルドの顔が、ボーウッドにそう問いかけている。 ……殺すなよ?ボーウッドはそう言いたげな渋い表情で頷き、それを了承と受け取ったワルドが詠唱もせずに杖を振り上げようとした。 そんな時であった――― 「おやおや、随分と悲観に暮れてらっしゃるではありませんか。ジョンストン殿?」 ボーウッドとワルドの後ろから、聞き慣れぬ女の声が聞こえてきたのは。 まるで急に現れたかのように唐突で、あまりにも透き通っていて幽霊の様な不気味ささえ匂わせる声色。 そんな声が後ろから聞こえてきてから一秒。杖を手にしたワルドが風を切るような勢いで後ろを振り返る。 振り向いた先にいたのは…古代の魔術師めいたローブに身を包み、フードを頭からすっぽりと被った女だった。 顔を隠した女はマントを着けていない事から平民なのかもしれないが、その体からは異様な気配が漂っている。 声と同じでまるで幽霊のように存在感は無く、゛風゛系統の使い手であるワルドでさえも喋られるまで気づかなかった程だ。 黒いフードもまた一切の飾り気が無く、それが却って女の不気味さと冷たさを助長させている。 そんな見知らぬ不気味な女が、混乱の最中にある甲板の上に悠然と佇んでいるという光景はあまりにも異様であった。 ワルドは杖の切っ先を女へと向け、艦長であるボーウッドが誰何しようとした時…その二人を押しのけるようにしてジョンストンが女へと詰め寄ってきた。 「おぉ…シェフィールド殿!シェフィールド秘書官殿ではないか!!」 先程まで泣き叫んでいた憐れな司令長官は期待と羨望に満ちた表情で、シェフィールドを見つめている。 その名に聞き覚えのあったボーウッドは、彼女がかつて自分にニューカッスル城への奇襲を実行させた人物だと思い出す。 クロムウェルの秘書官が何故こんな所へ?いや、それよりもいつ乗船したというのか。 疑問を一つ解消し、新たな疑問が二つも出来てしまったボーウッドを余所にジョンストンが饒舌に喋り出す。 「おぉ…秘書官殿ぉ…敵が、トリステイン軍が伏兵を配しておりましたっ!このままでは、閣下から任せられた艦隊がやられてしまいますぞ…!」 「安心しなさい、この事もクロムウェル閣下の予想範囲内。次の一手を打つ準備はできているわ」 まるで始祖像に縋る狂信者の様なジョンストンを宥めながら、シェフィールドは林檎の様に紅い唇を動かしてそう答えた。 その口の動きすらまた不気味に感じたボーウッドは、気を取り直すように咳払いをしつつ二人の会話を黙って聞いている。 彼女の話から察するに少なくとも今この状況を聞く限り、打開できる程の切り札があるらしいがボーウッド自身はそれに心当たりがなかった。 艦長である自分に知らせずに兵器にしろ武器にしろ積むというのは、無理があるというものだ。 後ろにいたワルドに目を向けるも、彼もワケが分からないと言いたげな表情を浮かべて軽く頷く。 一体どういう事なのか?放っておけない謎だけが積み重なっていく中で、ジョンストンは喋り続けている。 「おぉ、お願いします!すぐにでも、すぐにでもそれをお使いください!!それで忌々しいトリステイン軍を……ッ!」 最後まで言い切ろうとした彼はしかし、自分の口の前に出されたシェフィールドの右手の人差し指によって止められてしまう。 たったの人差し指一本。それだけで今まで散々喚いていたジョンストンとが、口をつぐんでしまったのだ。 この時、ワルド達には見えなかったがジョンストンの目にはフードで隠れたシェフィールドの目がしっかりと見えていた。 唇と同じ深紅色の鋭い瞳が蛇の様な冷たさを放って、彼の顔をギロリと睨んでいたのである。 蛇に睨まれた蛙の気持ちとはこういうものか…。ジョンストンは無意識に止まってしまった自分を、ふとそんな風に例えてしまった。 「貴方に請われなくとも、既に゛投下゛の用意に移っているわ。…だからそこで大人しくしていなさい」 シェフィールドは最後にそう言うと踵を返し、体が硬直したままのジョンストンを放ってスタスタと船内へと続くドアへと歩いていく。 ボーウッドは突然現れ、そして自分たちには声も掛けずに去っていく彼女の背中をただずっと見つめている。 ワルドもまた彼の後ろから見つめているだけで、後を追うような事はしなかった。 (…投下?投下とは一体どういう意味だ…!?) 今まで自分がこの艦の艦長であり、これから指揮を取ろうとしたボーウッドは自分が知らない事実がある事に困惑していた。 これまで経験してきた戦いは単純明快であり、勝つか死ぬかの命を賭けた真剣勝負でそこに謀略というモノは殆どなかった。 それが自分の信じる軍人としての戦いだと思っていたし、これからも続く不変の概念だと信じていた。 だがそれも今日をもって、終わりを告げることになってしまうのだろう。あの女の手によって。 「艦長…あの女、クロムウェルの秘書官殿は何をするつもりなのでしょうか?」 後ろから聞こえてくるワルドの質問にも、彼はすぐに答える事が出来なかった。 ただただドアを開けて、船内へと吸い込まれるように消えていったシェフィールドの後姿を見つめながら、ポツリと呟いた。 「あの女は、一体何をするつもりだというのだ…?」 時間は丁度午後十二時を回ろうとしているところで、トリステイン王宮内の厨房では早くも昼食の準備が済んでいた。 国中から集められた腕利きのシェフたちが厨房を舞台に、平民はおろか並みの貴族ですらお目に掛かれないような豪華なランチの数々。 一つの皿に盛られたメインの肉料理だけでも、平民の四人家族が三日間遊んで暮らせる程の金が掛かっている程だ。 そんな豪華な料理を作り出し、運び出そうとしている厨房は賑やかになるのだが…今日に限っては王宮全体がやけに賑わっていた。 あちこちの廊下を武装した騎士や魔法衛士隊員が戦支度の為に走り回り、廊下の埃を舞い上がらせている。 いつもなら執務室で昼食を心待ちにしている王宮勤務の貴族たちも、顔から汗を噴き出す程忙しく走り回っていた。 平民の給士達は何が起こったのか把握している者は少なく、多くの者たちが廊下の隅や待機室で走り回る貴族たちを不安げに見つめていた。 そして事情を把握している者たちは、知らない者たちへヒッソリ囁くように何が起こったのか大雑把に伝えていく。 …曰く。ラ・ロシェールで親善訪問の為に合流しようとしたアルビオン艦隊が、トリステイン艦隊を襲ったという事。 けれどもそれを間一髪で避けたトリステイン艦隊は、゛偶然近くで訓練していた゛国軍の砲兵大隊に助けられたいう事。 そして国軍の監査をしていた王軍の将校たちが指揮を取り、騙し討ちをしようとしたアルビオン艦隊との交戦に入ったという事。 誰が最初に広めたかも知らない噂はたちどころに王宮中に伝幡し、一つの『事実』として形作られていく。 ある者は「王家を滅ぼした貴族派らしい、卑怯な手口だ!」と批判し、また別の者は「戦争が始まるのかしら…?」と不安を露わにしていた。 一方で、貴族たちの中で軍属についている者達は上層部からの出撃命令を、今か今かと心待ちにしている。 上司たちから伝えられた内容が本当ならば、今すぐにでもラ・ロシェールで戦っている友軍と合流しなければならないのだ。 竜騎士は朝からの濃霧で出撃には時間が掛かるが、その他の幻獣に乗る魔法衛士隊ならば日付を跨いで深夜中に辿り着くことができる。 けれども、各隊の隊長たちは未だ緊急に設けられた対策室から出て来ず、隊員たちはどうしたものかと皆首を傾げている。 騎士達も騎士達で出動命令を待っており、できる限り竜騎士隊を今のうちに出させたいという意思があった。 この霧の中で長距離飛行は風竜でもなければ方角を見失う可能性があり、不幸にも風竜は此度の作戦でラ・ロシェールからの伝令役に全頭駆り出されている。 風竜はブレスの威力が弱い為に飛行力はあっても戦闘力は火竜より低く、そして火竜は戦闘力あれど飛行力は風竜に大きい差があった。 一応霧の中を長距離飛行させる方法はあるのだが、如何せん方角を見失った際に地上に着地させて、方角を指示してやらなければいけないのである。 更に火竜は頭が悪いせいで何度も着地させて教え直す必要があり、今出動してもラ・ロシェールにつくのは明日の朝方になってしまう。 だから騎士達も焦ってはいたのだが、自分たちの隊長が対策室から一向に出て来ない理由だけは知っていた。 彼らは伝令役を仰せつかった騎士仲間から、ある程度現地の―――最前線の情報を知る事が出来ていた。 伝令曰く、アルビオン軍は亜人とは違う見たことも無い『怪物』を地上軍のいる森林地帯に投下したのだという。 地上に降りた彼奴らは、周囲の霧を蝕むかのようにドス黒い霧を放出して地上軍に襲い掛かった。 その時上空にいた彼は全貌を知る事はできなかったが、地上軍は一時間と経たずに森から出てきたのだとか。 『怪物』たちは無秩序な動きとドス黒い霧を伴って王軍のいるラ・ロシェールへ突撃、そして… それから後の事は、その時伝えに来た伝令は知らない。 彼は本作戦の指揮を任されたド・ポワチエ大佐から、敵が未知の『怪物』を差し向けてきたという事を伝えろと言われて、町を後にしたのである。 故にその後ラ・ロシェールがどうなったか、そして今現在の状況がどうなってるいるのかまでは知らなかった。 「クソッ…出動命令はまだなのか?一体どうなっている!」 王宮の廊下を、喧しい足音を立てて魔法衛士の隊員三人が早足で歩いきながら一人叫ぶ。 彼らのマントには幻獣ヒポグリフの刺繍が施されている事から、彼らがヒポグリフ隊の所属だと一目で分かる。 その後ろに同僚であろう二人の隊員が後へと続き、彼の独り言に相槌を打つかのように言葉を出す。 「対策室へ行っても隊長たちからは待機しろ、待機しろ…の繰り返し。このままじゃ、戦況がどうなるか分からないっていうのに」 「全くだよ!聞けば、郊外の森林地帯で陣を張った国軍が既に敗走しているらしいぞ」 後ろにいた二人の内三十代前半と思しき同僚が口にした国軍の情報に、先頭の隊員が鼻で笑ってこう言った。 「所詮平民と下級貴族の寄せ集め軍隊なぞ、そんなものだろ?」 「けれど俺の友人の騎士から聞いた話だと、亜人でもない未知の『怪物』の仕業とか…」 反論か否か、食い下がる同僚の言葉を遮るようにして、先頭の彼は言った。 「いいか?例え相手がその『怪物』だろうが、俺たち魔法衛士隊が出動すればすぐに―…イテッ!?」 そんな時であった。先頭を歩く彼の言葉を無理やり中断させるかのように、曲がり角から黒い影がぶつかって来たのは。 不意に当たった彼は、すぐに後ろにいた同僚が倒れようとした背中を押さえてくれたことでなんとか事なきを得た。 一方で曲がり角からやってきた謎の黒い影も「おわっ…トト!」と可愛らしい声を上げて、何とかその場で踏みとどまっている。 何とか倒れずに済んだ黒い影―――もとい、魔理沙は帽子が落ちてないか確認してから、ようやくぶつかった相手と目が合った。 そして相手が男三人の内先頭の者とぶつかったと察すると、やれやれと言いたげに首を横に振って呟く。 「…全く、人が曲がり角を通るって時にぶつかってくるとは危なっかしい連中だぜ」 「何だと…?」 自分がぶつかってきたという自覚が微塵もないその言い方に、先頭の隊員はムッとした表情を浮かべる。 思わず腰に差していた杖を抜くと、その切っ先を魔理沙の喉元へと躊躇なく向けた。 「貴様、このヒポグリフ隊所属の私に向かって何たる口の利き方か…」 彼の経験上。平民や下級貴族ならばこの言葉と杖を向けるだけで、相手が竦む事を知っていた。 だが魔理沙はその杖を見ても怯えるどころか、厄介なモノを見るかのような表情を浮かべて言った。 「えぇ…?おいおい、勘弁してくれないか?今はただでさえ急いでるんだよな、コレが」 事実本当に急いでいる魔理沙の言葉はしかし、彼の怒りのボルテージを更に上げてしまう事となる。 何よりもその表情――顔の前を飛び回る羽虫を鬱陶しがるような顔に、杖を持つ手に力が入り過ぎてギリギリと音がなる程怒っていた。 「黙れ、貴様の事情など知った事ではない!それよりも貴様は……」 「ちょっとマリサ!一人で勝手に突っ走るなって言ったでしょうがっ!」 何者だ!―――――そう言おうとした時、魔理沙が通ってきたであろう曲がり角の向こうから声が聞こえてきた。 目の前にいる無礼な平民(?)の少女と同年代であろう、少女の軽やかな怒鳴り声。 その声に聞き覚えのあった先頭の隊員は、魔理沙を睨んでいた顔をフッと上げて彼女の後ろを見やる。 彼が顔を上げたのとほぼ同時であっただろう。自分にぶつかってきた少女の後を追うようにして、ピンクブロンドの少女が走ってきた。 黒のプリーツスカートに白いブラウス、そして黒いマントを着けている事から少女が貴族だとすぐにわかる。 だがそれよりも遥かに目立つピンクブロンドの髪が、彼女がトリステインで最も名のある公爵家の者だと無言で周囲に伝えていた。 「み、ミス・ヴァリエール…!」 後ろにいた同僚の一人が突然現れた公爵家の者に驚き、無意識にそう叫んでいた。 だが肝心のヴァリエール家の令嬢――――ルイズはその声には反応せず、魔理沙へと怒鳴りかかる。 事情はよく知らないが、その燃えるような怒りの表情を見るに何かがあったのだろう。 「アンタねぇ!折角姫さまのいる場所を聞いたってのに、…先を行き過ぎて迷ったらどうするのよ!?」 「いや~、ワタシってばこう突っ走っちゃう性格でね、やっぱり常日頃箒で飛ばし過ぎてるせいかもな」 先程魔理沙へ杖を突きつけた隊員も驚くほどの怒声でもって、ルイズは黒白の魔法使いへと詰め寄る。 一方の魔理沙も慣れたモノなのか、頭にかぶっていた帽子を外して気軽そうに言葉を返している。 そのやり取りに思わず杖を抜いた先頭の隊員も、その切っ先を絨毯へ向けてただただ見守るほかなかった。 と、そんな時にまたもや曲がり角の向こうから、三人目となる別の少女の声が聞こえてきた。 「ちょっとアンタたち。駄弁ってる暇があるなら、前にいる奴らを道の端にでも寄せたらどうなのよ?」 先の二人と比べて何処か暢気そうで、それでいて苛立たしさを少しだけ露わにしているかのような棘のある声色。 前の奴らとは我々の事か?三人目の言葉に後ろにいた二人がついついお互いの顔を見遣ってしまう。 貴族を相手にして何たる物言いか。先頭の隊員がそんに事を想いながら顔を顰めた時、三人目がヒョッコリと姿を現した。 ハルケギニアでは珍しい黒髪に大きくて目立つ赤いリボン、そして袖と服が分離している珍妙な紅白の服。 左手には杖らしきモノを持っているがマントは着けていない所為で、貴族かどうかは判別がつかない。 そんな変わった姿の少女―――霊夢が呆れた様な表情を浮かべて、ルイズと魔理沙の前へと出てきた。 「…って、何言い争ってるのよ二人とも?」 「イヤ、喧嘩じゃないぜ。ルイズが前を行き過ぎるなと叱って、それに私が仕方ないだろうと言葉を返しただけさ」 「世間様では、それを言い争いとか口喧嘩というらしいわよ」 「ちょっと!二人して何してるのよ!?そんな事してる暇があるならねぇ――」 妙に回りくどい魔理沙の言動に、霊夢は溜め息をつきながらも言葉を返す。 そこへルイズが怒鳴りながら入ってしまうと、彼女たちの前にいる魔法衛士隊隊員達は何も言う事ができなくなってしまった。 一体これはどういう事なのか?魔法衛士隊の三人が突然で賑やかな少女達に呆然としてしまう。 そんな時に限って、厄介事というのは連続して起こるという事を彼らは知らなかった。 「……ん?おい、また誰か角を曲がって来るぞ」 ルイズたちがギャーワーと喋り合っている背後から新たな影が出てくるのを見て、隊員の一人が言った。 今度は何だ?うんざりした様子でそう思った先頭の隊員が三人の背後へと視線を移し、そして驚く。 先ほどの少女たちはそれぞれ一人ずつ数秒ほど時間を置いて出てきたが、何と今度は一気に三人も出てきたのだ。 だがそれで彼らが驚いたワケではなく、原因はその出てきた三人の『状態』にあった。 「おい、しっかりしろ!」 「う、うぅ…スマン」 「もうすぐ会議室だ、踏ん張れ!」 新しく出てきた三人は王宮の騎士隊であり、肩のエンブレムを見るに竜騎士隊の所属だと分かった。 その内二人は一人の両肩を貸しており、その一人は一目でわかる程酷い怪我を負っている。 怪我をした竜騎士は今にも倒れそうなほど頼りない足取りであり、肩を貸してもらわなければすぐにでも倒れてしまうだろう。 突然現れた負傷した騎士に驚いた衛士隊の者たちはハッと我に返り、先頭の隊員が騎士の一人に声を掛けた。 「…あっ、おい…!大丈夫か、どうしたんだその怪我は?」 「ん?あぁ魔法衛士隊のヤツか。スマンが、今は道を空けてくれ!伝令のコイツを連れて行かないと…」 怪我をした同僚の右肩を支えていた騎士が言葉を返すと、言い争っていたルイズがハッとした表情を浮かべる。 今はこんな事をしている場合じゃないと、気を取り直すかのように頭を軽く横に振ると先頭の衛士隊隊員に向かって言った。 「すいません!私達もこの騎士達と一緒にアンリエッタ姫殿下の許へ行きたいのですが、会議室はこの先で合ってるんですよね!?」 王宮の中心部にある会議室は、交戦状態となったアルビオン軍との戦いをどう進めるかの対策室に変わっていた。 三時間前に戦闘開始の伝令が届けられてから、王宮にいた大臣や軍の将校たちがこの広い部屋に集結して会議を続けている。 縦長のテーブルの左右に設けた席に彼らが腰を下ろし、テーブルの上にはラ・ロシェール周辺の地図が何枚も広げられている。 大臣や将校たちはその地図を指さしながら口論し、この戦いをどのように進めて終幕を引くべきかを議論していた。 「既にアルビオン側のスパイと、我が国の内通者が通じ合っていたという証拠は確保しているのだ。 後はこの戦いを一時的な膠着状態にして、アルビオンが非難声明を出すと同時にそれを公表すれば奴らは終わる」 「イヤ!すぐにでも国中の軍隊を動員して艦隊だけでも潰すべきだ!!正義は我らにある!」 とある将校と議論していた一人の大臣が書類を片手に提案を出すと、好戦的な反論が跳ね返ってくる。 既に国中に待機しているトリステイン国軍は出動態勢を整えており、王軍の方も今か今かと出動命令を待っているのだ。 しかし大臣側も好戦的な彼らの提案と気迫に負けぬものかと言わんばかりに、別の大臣がその将校に食って掛かる。 「だが今動員させたとしても、大軍となるのには最低でも四日は掛かりますぞ!?アルビオンは我々が集まるのを悠長に待つワケがない!」 仲間の言葉に他の大臣たちもそうだそうだ!と賛同の相槌を打ち、対策室の空気を何とか変えようとしている。 将校側も場の空気が変わりつつあるのを察してか、反論された将校の隣にいた魔法衛士ヒポグリフ隊の隊長が口を開く。 「ならばその時間を、我々魔法衛士隊と竜騎士隊を含めたトリスタニアの王軍で稼ぎましょうぞ!」 「まだ敵がどれ程の地上軍を有しているのか、分かってないのだぞ?戦うしか能のない衛士隊は黙っておれ!」 白熱した論戦のあまりついつい乱暴な口調になってしまう大臣の言葉で、ようやくこの場を落ち着かせようとする者が出てきた。 「諸君、落ち着いて下され!あまり議論に熱を掛け過ぎては、ただの喧嘩になってしまいますぞ!」 アンリエッタの座る上座の横で佇んでいたマザリーニ枢機卿が一歩前に出て、滅多に出さない程の大声で呼びかける。 幸いにも彼の大声で論戦のあまり熱暴走しつつあった対策室は、冷水を浴びせられたかのように落ち着きを取り戻した。 何とか彼らの口を閉ざすことができたマザリーニは、軽い咳払いをしてから淡々としゃべり始めた。 「とにかく…今のトリステインは大臣側の提案を実行し、アルビオン以外の他国に大義は我々にあると教えなければならん。 援軍については、今後来るであろう伝令の戦況報告に応じて調整する必要があるだろう。今は打って出るべきとは思えん」 大臣側、将校側両方を組み合わせたかのようなマザリーニの提案に、大臣側の何人かがホッと安堵の一息をつく。 しかし将校側にはまだ不安要素があるのか、魔法衛士マンティコア隊隊長のド・ゼッサールが片手を上げて枢機卿に話しかけた。 「だがマザリーニ殿、先程の伝令によると何やら前線においてアルビオン側が見たことも無い兵器を使用したと…」 そんな彼に続くようにして国軍将校である辺境伯も片手を軽く上げて、マザリーニに質問を投げかける。 「左様。敵は亜人とも違う全く未知の『怪物』の軍勢を地上に投下して国軍を敗走させ、王軍のいたラ・ロシェールにも突撃したと聞きましたが…。 それがもし本当ならば…国軍、王軍共にこれ以上の被害が拡大する前に増援部隊を派遣して、その『怪物』達に対処する必要があるのでは?」 マンティコア隊隊長と辺境伯の言葉に、将校たちはウンウンと頷きながら確かにと呟いている者もいる。 彼らは戦いを膠着状態に持っていくのは賛成しているが、増援は出来る限り迅速に送るべきだと主張していた。 無論その報告を聞いていたマザリーニもその事についてすぐに拒否することはできず、むぅ…と呻く事しかできない。 そんな彼の反応に大臣側であり友人であるデムリ財務卿と、アカデミー評議会議長のゴンドラン卿が不安そうな表情を浮かべている。 彼らも戦闘の一時膠着を望んでおり、マザリーニ自身もどちらかといえば大臣側の味方であった。 出来る事ならば最小限の戦いでアルビオンを食い止めて、奴らに不可侵条約の意思なしと公表するのがベストであろう。 (だが…我々はそう思っていても、今の殿下のお気持ちは――――) 彼はそこまで考えて自分のすぐ右、この部屋の上座に腰を下ろすアンリエッタを横目で一瞥する。 三時間前にアルビオンとの戦闘開始が伝えられ、この部屋へ来てからというもの彼女はずっとその顔を俯かせていた。 一言も喋ることなく悲しそうな、何かを思いつめているような表情を浮かべて右手の薬指に嵌めた指輪を左手の指で撫で続けている。 御気分が優れぬのかと、何度か一時退席させて休ませては見たがここに戻ってくるとまたすぐに俯いてしまう。 臣下の者たちも心配してはいるのだが、彼女の口から会議に専念して欲しいと言われてしまったのでどうしようもできない。 そんな時であった、会議室の出入り口である大きなドアが突然開かれたのは。 いきなりの事にドアのそばにいた貴族たちが何事かと見やって、ついで多数の者が怪訝な表情を浮かべてしまう。 彼らの前でノックも無しにドアを開けて入ってきたのは、憮然とした態度で会議室を見回している霊夢であった。 「ほー、ほー…成程。アンリエッタがいるという事は、ここが会議室って事かしら?」 貴族たちに誰かと問われる前に、目当ての人物を探し当てたであろう霊夢が一人呟くと、右手を上げて「ちょっとー?アンリエッタ~?」とアンリエッタに話しかける。 突然現れた霊夢の態度と敬愛するアンリエッタ王女への呼び方を耳にした貴族たちは彼女の無礼な態度に、怒りよりも先に驚愕を露わにした。 トリステインの百合であり象徴でもあるアンリエッタ王女を呼び捨てはおろか、王族相手に友だちへ声を掛けるかの如く気安さ。 例え平民や盗賊や傭兵に身をやつしたメイジでも取らないような霊夢の態度に、彼らはただただ呆然とするほかなかった。 「だ…誰ですか貴方は!ここは関係者以外今は立ち入りを禁止にしていますぞ!」 霊夢の無礼さから来る驚愕から一足先に脱したであろうデムリ卿が、目を丸くしながら言った。 「関係者なら大丈夫なの?じゃあ私はアンリエッタの関係者だから、部屋に入っても良いわよね」 「なっ…!で、殿下…それは本当で?」 しかし霊夢も負けじと言い返すと、デムリ卿は思わず上座のアンリエッタを見遣ってしまう。 アンリエッタもまた突然やってきた霊夢に驚いた様な表情を浮かべていたが、デムリ卿の言葉にスッと席を立った。 「れ、レイムさん…、どうしてここへ…?」 「いや~何、別に用って程でもないんだけど…まぁ、ルイズの付添いって感じね」 アンリエッタと霊夢のやり取りを見て、その場にいた貴族たちの何人かがざわついた。 あのアンリエッタ王女が、自身に全く敬意を払わぬ怪しい身なりをしたレイムという少女に対してさん付けで呼んでいる。 マザリーニ枢機卿など王宮に常駐して霊夢達の事を知っていた貴族以外は、一体何者なのかと疑っていた。 ただ一人、ゴンドラン卿だけは霊夢の姿をマジマジと見つめながら顔を青白くさせている。 「……失礼します!!姫さま!」 そんな時であった、ざわつき始めた会議室の中へ飛び込むかのようにルイズが急ぎ足で入室してきた。 今度の乱入者は魔法学院生徒の身なりに、ピンクブロンドのヘアーという事で部屋にいた貴族たちはすぐに彼女の事が分かった。 ルイズは霊夢のすぐ傍で足を止めると、上座の方にアンリエッタがいる事に気付いてホッと安堵の一息をつく。 「おぉ!これはこれは、ヴァリエール家の末女であるルイズ様ではございませぬか!!」 ドアのすぐ近くの席に座っていた大臣が、ルイズの顔を見てギョッと驚いた様な表情を浮かべた。 彼の言葉に他の大臣や将校達も半ば腰を上げてルイズの顔を見遣り、そして同じような反応を見せる。 「得体の知れぬ少女の次は、ヴァリエール家の末女様が来るとは…これは一体どういう事なのだ?」 「酷いこと言うわねぇ、誰が得体の知れぬ少女よ?」 「そりゃ挨拶もなしにそんな身なりで入ってきたら、誰だってそう思うだろうさ」 大臣の口から出た言葉に霊夢がすかさず突っ込みを入れた時、ルイズに続いて今度は魔理沙が入室してきた。 三人目の闖入者に更に会議室は沸いたのだが、彼女の後に続いて入ってきた者たちを見て全員が目を見開てしまう。 「し、失礼致します!ただいまラ・ロシェールからの伝令を連れてまいりました!」 魔理沙の後に続いて入ってきた魔法衛士隊隊員の一人がそう言うと、四人の騎士と隊員達に支えられた伝令が入ってきたのだ。 「これは…っ!一体どうした事か!?」 「何と酷い怪我だ…」 大臣や将校達は隊員たちに肩を支えられて入ってきた伝令の騎士を見て、彼らは様々な反応を見せる。 ある大臣は血を見ただけで顔を青白くさせ、将校や隊長達が席を立って伝令の傍へと駆け寄っていく。 「……ッ!」 「何と…」 マザリーニ枢機卿も傷だらけで入ってきた伝令に目を丸くし、アンリエッタは口元を両手で押さえて悲鳴を堪えていた。 伝令の傍へ駆け寄ってきたヒポグリフ隊の隊長が、騎士達と共にやってきた自分の隊の者に話しかける。 「おいっ、これはどういう事なのだ?」 「はっ、先程隊長殿に待機命令を受けた後に戻ろうとした際にこの者達に続いて、彼らがやってきて…」 ついさっき魔理沙とぶつかった隊員が横にルイズたちを見やりながら、やや早口で隊長に説明をしていく。 その傍らで竜騎士隊の隊長が自分の部下でもある伝令に、不慣れながらも゛癒し゛の魔法を掛け続けている。 しかし伝令の傷は外から見るよりも酷く、出血もそこそこにしている事が今になってわかった。 「お前たち、どうしてコイツが戻ってきた時点で応急処置をしなかったんだ」 「その…実は戻ってきた時は平気そうなフリをしていたのですが…我々が用事で城内へ入った際に、彼女たちが倒れていたソイツを介抱していて…」 部下のその言葉に、隊長は蚊帳の外に移動しかけたルイズたちの方へと顔を向ける。 強面の竜騎士隊隊長に睨まれた魔理沙が多少たじろいだが、そんな彼女を余所にルイズがすかさず説明を入れた。 「最初に私が倒れているのを見つけた時、医務室につれて行こうとしたのですが…どうしても姫様に伝えたい事があると言って…」 その輪の外で様子を窺っていたアンリエッタがハッとした表情を浮かべて、その騎士の許へと駆け寄っていく。 何人かの者がそれを制止しようとした素振りを見せつつも、彼女はそれを気にもせずに負傷した伝令の傍へ来ると水晶の杖を彼の方へと向けた。 軽く息を吸ってから、慣れた様子で『癒し』の呪文を詠唱し始めると、杖の先についた小さな水晶が不思議な光を放ち始める。 見ているだけでも心が落ち着くような水晶の光が騎士の体から傷を取り除き、まともに立つことすらできなかった疲労感すら消し去っていく。 それを近くで見ていた者たちはルイズを含めて『癒し』の光に皆息を呑み、魔理沙は興味津々な眼差しでアンリエッタの魔法を観察している。 霊夢は相変わらずぶっきらぼうな表情でその様子を眺めていたが、思っていた以上に献身的なお姫様に多少の感心を抱いていた。 「大丈夫ですか?」 「あぁ…姫殿下、申し訳ありません…。私如きに、貴女様が魔法を使われるなどと…」 敬愛する王女からの治療に伝令はお礼を言って立ち上がろうとしたが、アンリエッタはそれを手で制した。 「そのままで結構です…。一体、私に直接報告したい事とはなんですか?」 アンリエッタからの質問に、伝令はスッと目を細めるとゆっくりと喋り出す。 「ら……、ラ・ロシェールに派遣された王軍指揮官の…ド・ポワチエ大佐からの伝令、です…」 彼はそう言って息を整えるかのように深呼吸をしてから、それを口にした。 「『我ガ王軍、及ビ国軍ハアルビオン軍ノ謎ノ怪物ニヨリ壊滅状態ナリ。 ラ・ロシェールノ防衛ヲ放棄、タルブ村マデ後退。至急増援ヲ送リ願イマス』との…こと」 彼の言葉から出た伝令の内容に、騒然としつつあった会議室が一斉に静まり返った。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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いつもと変わらぬ朝食。 いつもと変わらぬ授業風景。 いつもと変わらぬトリスティン魔法学院。 多くの生徒達にとっては、いつもと変わらぬ日常だった。 ギーシュは疲れていた。 魔法衛士隊隊長、ワルドの裏切りを知り、ギーシュは自分の人を見る目のなさを恥じた。 半裸のミス・ロングビルを連れて帰ってきたので、モンモランシーに問いつめられ、右の頬に紅い紅葉を作った。 更に、数日間の不在は浮気旅行じゃないのかと詰め寄られ、左の頬にこれまた見事な紅葉を作った。 そして傷の癒えたロングビルに礼を言われたのをケティに目撃され、その情報はモンモランシーに伝わり、年増ババァのどこがいいのかと詰め寄られて頭に大きなたんこぶを作っていた。 タバサは不在だった。 実家からの手紙に何が書かれていたのか知らないが、しばらく学校を休むそうだ。 キュルケの話では、こうしてたびたび実家に呼び出されるのだとか。 シルフィードに乗って実家に帰る前、タバサはルイズを心配していた。 キュルケは少し不機嫌だった。 普段通り授業を受けてはいるものの、タバサがいないと調子が出ない。 その上、ゼロとあだ名される生徒の席が、ここ一週間ばかりずっと空席だった。 その席を見ては、時折ため息をつき、つまらなそうにしていた。 シエスタはどこか落ち着かなかった。 いつものように食堂のテーブルクロスを洗濯する。 いつものように食器を洗う、いつものように配膳をする。 しかし、いつもより一人分足りない。 ルイズの姿を探しては、今日も居ないとため息をつく。 ギーシュやキュルケから、ルイズは今実家に帰っていると聞かされたが、それは嘘だと、なんとなく理解できた。 オスマンは相変わらずだった。 職務に復帰したミス・ロングビルの下着の色を、使い魔のネズミを使って調べるだけでは飽き足らない。 復帰祝いと称してロングビルに過激なビキニをプレゼントしたが、練金で瞬時に土くれに変えられてしまったため、いじけていた。 トリスティンの城、そのゲストルームに置かれた豪華なベッドの上に、一人の少女が眠っていた。 眠る少女の体中には包帯が巻かれており、その姿を同じ年頃の少女が見守っていた。 トリスティンの王女アンリエッタである、彼女はベッドの上に眠るルイズに治癒の魔法をかけていた。 「く…」 アンリエッタから苦しそうな息が漏れる。 キュルケ達がシルフィードでトリスティン城に降り立った時、アンリエッタがすぐに駆けつけなければ、ルイズは失血死していたかもしれない。 傷が塞がらないのだ。 出血はかろうじて止まったが、傷口は開いたまま、どんなに治癒の魔法をかけても、治癒の秘薬を用いても効果がなかった。 しかも秘薬の代金は国庫から出すことは出来ない、これはあくまでもアンリエッタが個人的に頼んだ依頼だからだ。 「アンリエッタ、私が代わろう」 「ウェールズ様…」 「アンリエッタ、君には公務がある、王女としての勤めを果たさなければ、ミス・ヴァリエールに笑われてしまうよ」 「………はい」 部屋に入ってきたウェールズは、アンリエッタの隣に座ると、慣れない治癒の呪文を唱え始めた。 一通り魔力が伝わるが、ルイズの身体に反応はない。 「マザリーニ枢機卿は、なかなかの切れ者だね」 「えっ?」 「僕はここでも身を隠すことになるようだ、当分は地下で過ごすことになる」 「そんな!」 「気にすることはない、本来なら私は死んでいたはずだ、ニューカッスル城と秘密港の崩壊で私は死んだと思われているので、 今の私を外交のカードとして利用させて欲しいととハッキリ言ってくれたよ。だが、その方がありがたい」 「………トリスティンの民から、私とマザリーニ枢機卿がなんと呼ばれているか、ご存じでしょうか」 「知っているよ、だが、王とはそうしたものだよ、王の立場にある者が、不用意に不快感をあらわにすると、王の権威を保つため不快感の原因となる要素は排除される。 平民は浴場で、風呂が熱い、ぬるいだのと文句を言えるそうだね、王族がそれをしたら浴室付きの侍女は皆、お役御免になってしまう、王族とは難儀なものだよ」 「私は、自分は操り人形ではないと意地になっておりました、ですから、私はマザリーニに気づかれぬよう、ルイズを利用したのです。私に…私に王女の資格などありませんわ…」 「アンリエッタ、いいかね、ミス・ヴァリエールは最後まで諦めなかった、最後まで…だ、ワルド子爵の裏切りを一番つらく感じていたのは彼女だろう、それでも彼女は君に与えられた任務を諦めなかった、それどころか、逸脱しようとした」 「逸脱…とは?」 「昨日までは、私は仲間達を残して一人生き残ってしまったと、後悔したよ。しかし、生き残ってしまったからには生きている者の勤めを果たさなければならない、ミス・ヴァリエールを恨もうとも思ったが、今で感謝しようと思っている」 「ウェールズ様、死ぬおつもりだったのですか…?」 「私は、皆の前で共に戦おうと宣言したのだよ、おめおめと生き残っている私を見て、天国の彼らはどう思っているのだろうね」 「そんな!ウェールズ様、どうか、もう死ぬなどとおっしゃらないで下さい!」 アンリエッタがウェールズの腕に、しがみつくようにして叫ぶ。 するとウェールズは微笑み、アンリエッタ手に手を重ねて言った。 「私はもう死ぬつもりはないよ、無様でも、部下を裏切ってでも、私は生きてアルビオンの魂を伝えねばならない。でなければ、私は彼女に顔向けできないからね…アンリエッタ、君はどうなのだ?」 「わたくし…ですか?わたくしは…」 アンリエッタはルイズの姿を見た。 包帯だらけで、呼吸も消えてしまいそうなほど細い、このまま治癒を続けても無駄だと王家の侍医は言っていた。つまり絶望的な状態なのだ。 「わたくしは…」 言葉を続けることの出来ないアンリエッタの肩を抱き、ウェールズはアンリエッタを自分へと向き直らせた。 「私は仲間を見殺しにした罪悪感にさいなまれた、だが助けられた以上は生きた王族としての使命を果たさねばならぬ、 彼女を使わせたアンリエッタ、君も彼女を傷つけた罪悪感に苛まれるのであれば、なおさら彼女のためにも君は王女として威厳を示さねばならないだろう… でなければ、私は彼女の決意を、無碍にすることになると思う」 「ウェールズ様…」 アンリエッタが何か言いかけたとき、扉を軽く叩く音が聞こえた。 「姫殿下、マザリーニでございます」 「入りなさい」 マザリーニは部屋にはいると、アンリエッタに一礼した。 「殿下、どうか公務にも顔をお出し下さい、それと、もはやミス・ヴァリエールを治癒して七日が過ぎました、どうかお考えを…」 「…わかりました、すぐにそちらに戻ります、下がりなさい」 アンリエッタはルイズの顔を見る、ルイズは相変わらず死んだように眠っていた。 マザリーニの言った『お考えを』というのは、ルイズへの治癒を打ち切るという事だ。 アンリエッタは、心の中でルイズに謝った。 「ウェールズ様、ルイズに、最後に、治癒をかけてあげたいのです、どうか、一緒に…」 「喜んで」 そう言うと二人は息を合わせ、同時に呪文を唱え始めた。 水のトライアングルメイジと、風のトライアングルメイジが、二つの魔法を一つにするという強力な秘術、王家にしか伝わらないこの技術をヘキサゴンスペルという。 本来ならヘキサゴンスペルは攻撃に利用するのだが、今回は慣れない治癒の魔法を二人で唱えた。 奇跡を願って、最後の可能性にかけたのだ。 そのころルイズは、暗闇の中にいた。 暗闇の中で、ルイズは承太郎に詰め寄られていた。 ウェールズを連れて帰る決意は、アルビオン貴族派の矛先をトリスティンに向けさせるという大きな代償を払う事となる。 それを知っておきながら、なぜルイズがウェールズを助けようとしたのかを、問いつめていたのだ。 「…難しいから、何なのよ、これで戦争が始まっっても、私には責任なんか取りようがないわよ、でも、でも! あんなところで死んでいい人じゃないわ!」 ルイズの声が、漆黒の闇に響く。 『”覚悟”…いや、ワガママだな』 「何とでも言いなさいよ、それに、ウェールズ殿下が誇り高きアルビオンの魂を伝えたいと言うのなら、死ぬべきじゃないわ」 聴きようによっては、自暴自棄になった人間の台詞にも聞こえた。 『俺のいた世界には、”武士道”という本がある』 「ブシド-?」 『この世界風に言えば、貴族道とでも言ったところか…その本には、確かこんなことが書かれていた』 『武士道という花が散っても その香りは残り 人々の人生を豊かにし続けるだろう』 『ウェールズはその”残り香”になろうとした、それを邪魔するのは、ウェールズに対する冒涜じゃないのか』 「ち、違うわよ!」 『どう違う!』 「………わ、私は…私は!」 言葉を続けることが出来ず、ルイズは黙ってしまった。 『ルイズ、俺は”正しい答え”なんか期待しちゃいない、”お前の答え”が聴きたい』 しばらくルイズは黙っていたが、意を決して、口を開いた。 「アンの…アンリエッタの恋人を助けられないなんて、友達失格じゃない。私は王女から密命を受けたんじゃないわ、友達の頼みを聞いたのよ、だから、よけいなお節介をしたのよ!」 承太郎は笑みを浮かべた。 『やれやれ、やっと言ったか』 「へ?」 『貴族としてとか、貴族らしいとか、そんなのは言い訳に過ぎない、ルイズ、お前は『友達の頼みに応じた』それこそ命がけでな、それを覚悟して自覚しているのなら、俺が言うことも無い』 「フン!何よ分かったような口聞いて、使い魔のくせに…偉そうに…」 『俺はもうアドバイスできなくなる…だから、その覚悟だけは聞いておきたかった』 「………えっ?」 承太郎の背後からスタープラチナが現れる、すると、周囲の暗闇がはれ、足下にルイズが見えた。 すぐ傍らにはアンリエッタとウェールズが、二人で治癒の魔法を詠唱している。 「これ、私? え、私、どうなってるの?」 驚いているルイズを無視して、スタープラチナの手がルイズの頭に入り、そして、銀色の円盤をゆっくりと引き出し始めた。 「これ…貴方の、ディスクって奴よね」 『ああ』 「どうして取り出すの?」 『ワルドとの戦いで受けた傷は、俺が引き受けると言ったはずだ』 「でも、秘薬とか魔法で治せばいいじゃない」 『それは無理だな、幽霊のような状態で見ていたが、俺がいると魔法がかからないようだな』 話していくうちにも、円盤がゆっくりと引き出されていく、半分ほど姿を見せたところで、ビシッ、と音を立てて円盤にひびが入った。 『水の魔法でも、魂までは直せないようだ』 ビシビシと音を立てて円盤に日々が広がっていく、それと同時に、承太郎の姿にもヒビが入っていった。 「ちょっと!ねえ、やめてよ 郎!… ? あれ…?」 『これからお前は目が覚める、目が覚めたら俺のことは忘れてしまうだろう』 「待って!そんな、こんな急に、駄目よ!私はまだ、貴方が居ないと、戦えない!」 『俺はお前の記憶を操作した覚えはない、ただ、夢を見せただけだ。ルイズ、お前は俺の記憶を見ただけであれだけの『覚悟』を決めて、成長した、自分に自信を持て』 「イヤだ!忘れたくない!わすれたく…」 ルイズの魂が肉体に引き寄せられると、承太郎の姿はそれにあわせてゆっくり消えていく。 『………もし、娘に会ったら、その時は助けてやってくれ』 そうして、ルイズの意識は闇に落ちた。 「げほっ」 アンリエッタの目の前で、ルイズが咳き込む。 「ルイズ…!」 アンリエッタは詠唱を止めて、ルイズの顔をのぞき込んだ。 「げほっ…はぁ…あ、アンリエッタ姫さま…おはようございます」 「ルイズ…ルイズ!」 「ま、待ちたまえ!」 ルイズに飛びつこうとしたアンリエッタを、ウェールズは慌てて押さえた。 「ウェールズ殿下、私なら、大丈夫です、ほら」 そう言ってルイズが頭の包帯を取ると、顔や頬につけられていた傷は綺麗に治っているのが見えた。 それを見たウェールズはアンリエッタの肩から手を離した、アンリエッタはルイズに抱きつくと、まるで子供のように泣きじゃくった。 ルイズは、アンリエッタを抱きしめながら、何か大事な夢を見ていたはずだと考えたが、とりあえず今はアンリエッタに抱きしめ返すことが先だ。 外した包帯の中から、ヒビの入った円盤が、きらりと輝いた。 To Be Contined → 前へ 目次 次へ